名レスラー伝~風雲昇り龍!!天龍源一郎~後編 | 団塊Jrのプロレスファン列伝

名レスラー伝~風雲昇り龍!!天龍源一郎~後編

さあ!!前編からの続きです!!

デイヤー!!

84年、世界最強タッグに鶴田と組んで参加。ミラクル・パワーコンビのハンセン、ブロディ組、ザ・ファンクス、元NWA、AWA世界王者コンビの夢のタッグ、レイス、ニック組、まさかの電撃移籍で参戦したキッド、スミスのブリティッシュ・ブルドッグス、馬場さんと、旧UWFからこちらもまさかの全日本登場だったラッシャー木村組、のちにWWFでも活躍したワンマン・ギャング、鶴見組、ジェットシンと、こちらものちにWWFに参戦したマイク・ショー組と豪華な顔ぶれの大会となりました。

全日本初登場となったキッドとも熱い戦いを見せた

このメンバーの中、決勝へ歩を進めハンセン、ブロディ組と優勝戦。反則勝ちながら勝利し世界最強タッグ初優勝となりました。

鶴龍時代を思わせる活躍に大きな期待が寄せられた

しかし、このときにはすでに、天龍には今後のレスラー人生を左右するほどの数々の新たな戦い、運命が待ち構えていました。そう明けた85年は天龍にとってまさに激動の年になったのです。

まず、この84年の最強タッグのシリーズ中に全日本への参加が明るみになった長州率いる新たなる団体、ジャパンプロレスが翌年、85年2月から本格参戦してきたのです。

長州の参戦は、それまでの全日本マットの空気をあまりにも変える出来事だった

長州が全日本マットに上がる・・・それまで考えられなかったこの出来事にもっとも反応し、感情露わにしたのが天龍でした。

それまでは、あまり気持ちを表情に出さない、そして鶴田とのタッグでも穴になってしまうことが多かった印象の天龍でしたが、ああ!天龍やるなぁ!!本当はこんなレスラーだったのか!!と注目しだしたのはまさにこのとき。長州が起爆剤になって、天龍がレスラーをやっていくうえで邪魔になっていたカラを打ち破った、そんな出来事だったと思えます。

そんな天龍を象徴する試合が、85年2月21日に大阪城ホールで行われた、長州が全日本へ来てからの初のシングルマッチでした。このシングル初対決では長州がエプロンで放ったバックドロップにより天龍はリングアウトで負けてしまいましたが、なんとのちの代名詞となるパワーボムを対長州戦の秘密兵器として初公開したのがこの試合だったのです。

初公開のパワーボムは両膝をつけてのものだった

思えば日本人で最初にテリー・ゴディのパワーボムを受けた天龍。そしてブレーク前の新日本ではスタンプホールドからフォールに持っていく動きを時折り見せていた長州。天龍がパワーボムを初公開したのがこの日の長州だったというのは、因果だったのかもしれませんね。

そんなおり、3月9日には完成したばかりの両国国技館で、待望の初来日を果たしたザ・ロードウォリアーズとインターナショナルタッグをかけて激突。こけら落としとして行われたこの大会は当時支流ではなかった3本勝負。1本目こそウォリアーズの快勝でしたが2本目はホークがいつのまにかフォールを奪われ3本目には反則暴走という消化不良な結果に終わってしまいました。

各方面から結果に不満が噴出したが・・・

期待されたウォリアーズの活躍は見られませんでしたが、話題沸騰のウォリアーズの大試合の相手を両国国技館でのプロレス開催一発目で務めた天龍。世界の強豪を相手に「重み」を出し幅の広さを感じさせました。

長州のジャパン軍、そしてウォリアーズと大物を相手にスタートを切った85年に事件はまだまだ続きます。先に出た両国での試合からおよそ1ヶ月後の4月3日、84年10月から姿を消していた阿修羅・原が突如、山形県体育館大会に現れ長州を襲う事件が発生。同月19日には神戸ワールド記念ホールで再び現れまたも長州を襲うという事態になりました。

この事態を受け・・・てなのかどうかは謎ですが、同じく4月の24日、横浜文化体育館大会で原は天龍とタッグを組み長州・浜口組と対戦しますが、今度はタッグを組んだ天龍へ一方的に攻撃すると一匹狼として天龍にも攻撃の的を絞り、ここにも抗争が勃発することとなりました。

ヒットマンとなり乱入を繰り返した原

日本テレビの深夜番組「11PM」に天龍がゲストで出た回にも乱入し、モニター越しに一方的にまくし立てたこともあった

この時代の天龍は、長州の参戦、原の登場の他、UNヘビー級の防衛戦もジャパンからキラー・カーン、谷津嘉章、そしてカルガリーハリケーンズとして参戦してきたスーパーストロングマシンらに迫られた上での防衛戦を展開していき、まさに“迎え撃つ”形が多くなりました。

そんな中、印象的だったのは85年6月、日本武道館での長州とのUNヘビー級選手権ではなかったでしょうか?

試合前にベルトを?

このとき天龍は防衛戦にして長州との2度目のシングルとなりましたが、試合前に長州が天龍へベルトをよこせと迫る出来事が・・・

おれたちの戦いにベルトなんかいらない!!長州はベルトを放り投げてしまいます。このベルトを放り投げられたことに天龍は激怒し、長州に対し感情むき出しの張り手を見舞うとリング上は異様な空気に。結局ノンタイトルへ変更となりましたが、戦いは一層の激しさを増しました。全日本時代の長州と天龍のシングルでの戦いは初対決とこの試合、そして86年の大阪で行われた試合で全3戦天龍が2勝1敗となっています。

タッグ戦線では鶴田とのタッグで長州・谷津組とのインターナショナルタッグを巡る戦い、ありましたね!これ以上ないヒートぶりを見せ、今なおタッグの名勝負として語り継がれる名勝負となっています。

今見てもまったく色あせない名勝負!!

このインタータッグ戦のポイントは何と言ってもジャーマン・スープレックス・ホールドでした。天龍が谷津にフォールされ王座陥落・・・しかし1年後の同じ日に、今度は天龍がジャーマン・スープレックス・ホールドで王座を奪取するんですね。技の展開、試合のテンポ、すべてがハイグレードです。本当に語り継がれる名勝負です。

こちらは魂の記事ともいえる紫レガさんのブログ・腕ひしぎ逆ブログより




ゼヒご覧ください!素晴らしいです!!

87年、長州が全日本マットから去ると天龍は原と龍原砲、天龍同盟を結成。天龍の生き方を象徴するようなこの姿勢、そして戦いに多くのファンが惹きつけられました。

まさに天龍の人生そのものと言える「REVOLUTION」が幕を開けた

この戦いで全日本のレスラー、そして外人レスラーにも妥協なき戦いを繰り広げ、アツいファイトを展開。その姿は多くのファンの心を打ち天龍を超・トップレスラーへと押し上げていきました。

特に輪島との試合は大きな反響を呼んだ

中でも、なんといっても忘れてはならないのがジャンボとの戦いです。忘れもしません。87年の8月30日、サマーアクションシリーズ2です。ボクの地元、茨城の土浦スポーツセンターに全日本が来ました。その日のメインは天龍、原、川田vsジャンボ、カブキ、ハル園田でした。ボクは特リン、最前列で観戦していました。会場全体に響いたあの天龍のチョップの音!!そして鶴田のコーナーへ串刺しての顔面へのジャンピング・ニー!!とにかくアツかったのを覚えています。

そして・・・そう、この日ふたりがアツかったのは他にも理由がありました。そうです!!この次の日が天龍同盟発足後、ジャンボとの初のシングルマッチだったからです!!

革命2ヶ月でジャンボとのシングルが実現した

87年8月31日、日本武道館でのふたりのシングルは20分を超える激闘の末、天龍がジャンボからリングアウトで勝利するという結果となり、天龍時代の幕開けを告げる試合となりました。その後、同年10月に同じ日本武道館で再び対戦。このときは反則での勝ちでしたが、87年のシングル対決は天龍が勝ち越しとなりました。

こうして明けた88年、天龍の進撃の中、全日本プロレス内では王座統一という大きな出来事が動き始めます。同年3月9日、まず横浜文化体育館でスタン ・ハンセンとUN、PWFをそれぞれかけたダブルタイトルマッチが行われます。

しかし、ここで忘れてはならないのがあの事件、そう、ハンセンの失神事件です。それはこの試合のわずか4日前の秋田での試合、天龍、原組vsハンセン、ゴディのタッグマッチ中の出来事でした。サンドイッチ式のラリアートから挟み撃ちのダブル延髄と好連携で攻めた龍原砲でしたが・・・このとき天龍が正面から放ったキックがハンセンの顎にヒットしてしまい、そのまま30秒近くハンセンが意識を失ってしまうという予想だにしなかったことがおきてしまったのです。

この正面からの天龍の蹴りがハンセンを失神させてしまった

異様な空気に包まれる場内・・・しかし本当に異様だったのはハンセンが気がついたあとでした。怒り・・・とにかくこんなに暴走したハンセンは後にも先にも見たことがない。特に場外で天龍に見舞った左のラリアートなみのフルスイングの張り手!!この衝撃と言ったらありませんでしたね!!それこそ試合後も控室まで天龍を探しに行ったほどの、それはすごい怒りようだったといいます。まさに3月9日の横浜は、この因縁を引っさげてのダブルタイトル戦だったんですね。

迎えた横浜のダブルタイトル戦は、試合は天龍が右の瞼を切り、このケガでシリーズ終盤を欠場せざるを得ない状況に追い込まれるほどのハンセンの激しい攻撃が展開されるタフなものになりましたが、スキをついての首固めで天龍がハンセンからフォールを奪い、見事二冠を達成しました。

ついに二冠となった天龍

同月27日には武道館にて横浜でのリベンジに燃えるハンセンと二冠の防衛戦を行いましたが、これに勝利。そして同年4月、天龍はUN、PWFのベルトをかけブルーザー・ブロディの持つインターヘビーのベルトと全日本において史上初のトリプル・タイトルマッチを行うことになります。

ボクの中の天龍のベストバウトです

このブログの・・・そうですね、インターヘビーの特集、UNの特集、そしてブロディの特集のときも書いているので内容が被ってしまいますが、また書きます。まず、すごかったのは天龍の徹底した足への攻撃でヒザを痛めていた中で放ったあのブロディのキックです。忘れられません。そして1試合で、キングコング・ニードロップ、ダイビング・キングコング・ニードロップを繰り出したブロディと、これを引き出させ受け切った天龍が、本当によかった。新しい時代のプロレスの始まりを感じさせる、ほっ・・・ん当にいい試合でした。

タッグでは8月、ウォリアーズの持つインタータッグと鶴田、谷津の持つPWFタッグのダブルタイトル戦で6月に統一されていた世界タッグに龍原砲として挑戦。タッグマッチながら最後は天龍が鶴田から初のフォール勝ちを奪い、鶴田、谷津から見事奪取しました。

全日本の頂上タッグ対決を制した龍原砲

明けて89年6月には日本武道館でジャンボが統一したUN、PWF、インターの三冠へ挑戦し、天龍がパワーボムからのエビ固めで堂々ピンフォール勝ち。当時はトリプルクラウンと呼ばれていた三冠ヘビー級の第2代王者になり、ついに全日本の頂点へ立ちました。

24分5秒にもおよぶ戦いの最後は渾身のパワーボムだった

ついに全日本の頂点に立った!!

波に乗る天龍は11月にはハンセンと組んで馬場さん、ラッシャー木村組と激突。タッグ対決ながら馬場さんから日本人では初となるピンフォールを必殺のパワーボムで奪いました。

で!!この試合は天龍を説明するときに「馬場、猪木からフォールを奪った・・・」というくだりでよく出てくるものなので、フィニッシュはご存じかと思いますが・・・みなさんこれを単なるパワーボムからのフォールと思っていたんでは大やけどをしますよ!!このパワーボム、見てください!!

高角度!!!

馬場さんに対しても妥協なき攻め!!これが天龍なんですよ!!

そしてこの年の世界最強タッグではハンセンとのコンビで最強タッグ史で初となる全勝での優勝を決めました。

90年に入るとプロレス界全体にも新しい波が起きるようになってきます。まず2月10日、新日本プロレスが東京ドームで開催したスーパーファイトin闘強導夢に全日本プロレスの選手が参加するという信じられない出来事が起こりました。このとき天龍はタイガーマスクと組んで長州、ジョージ高野とタッグにて対決。

長州と3年ぶりの対決となった

全日本から戻った後の新日本でさらにグレードアップした長州と、長州去りしあと天龍革命でトップに躍り出た天龍のこの3年ぶりの戦い、これほどの興味を引くものがあったでしょうか?見たかったですねぇ・・・テレビで放送できなかったというのが本当に残念でなりません。

そして4月13日には同じく東京ドームで、今度は新日本、全日本にWWFが加わって行われた歴史的大会、日米レスリングサミットが開催されました。この試合で天龍はマッチョマン・ランディ・サベージと対戦。当初、異質、異空間すぎるその対戦カードに思わず神妙な顔になるファンもいましたが、蓋を開けてみれば多くのファン、関係者がこの大会のベストマッチとしてあげるほどの名勝負となりました。

これこそ“見応え”があった試合だった

サベージはものすごい大技を持っているというわけではありませんでしたが、プロレスがうまい選手でしたよね。天龍も然り・・・一旦見始まったらずっと見てしまう、そしてあとを引くというか、そんな試合でした。

こちらも紫レガさんのブログ・腕ひしぎ逆ブログより


必見です!!

こうして90年の前半は次々起きる新たな波をまさに真っ向受け止めてきた天龍でしたが、その天龍自身もこの年には新たな波を起こし始めました。上記のサベージ戦からわずか6日後に行われた90年4月19日、横浜文化体育館大会において鶴田とのシングルマッチを行った天龍は、この試合を最後に長年親しんだ全日マットに別れを告げます。全日本を後にした天龍・・・向かった先は新しくできた団体、SWSでした。

SWS旗揚げに集結したメンバー

SWSはメガネスーパー・ワールドスポーツの名称のとおり、メガネスーパーという企業が運営するプロレス団体として、また一団体でありながら各レスラーが相撲でいう部屋のように分かれている、部屋制度を導入した新しいスタイルの団体であったのです。こうして有名どころなレスラーが集まった他、WWFとも業務提携をしていたため、91年3月24日には天龍と北尾が日本人として初めてレッスルマニアVIIに出場するという歴史を残します。また3月30日にはレッスル・フェストin東京ドームにて天龍、ハルク・ホーガンvsザ・ロードウォリアーズという豪華なカードが組まれたこともありました。同年12月には同じく東京ドームにてスーパー・レッスルin東京ドームを開催。この大会では天龍がホーガンとシングルで対決をするというミラクルも実現しました。

ホーガン相手にもカラーを出したが・・・

ホーガンはのちのムタ戦、藤波戦でもそうでしたが、対日本人で日本マットのときはアメリカでは見せない、かつて新日本で培った日本流のテクニックをふんだんに試合を組み立てていましたよね。一方の天龍はいつもと変わらぬ妥協なきファイト。ホーガン、天龍のチョップには、だいぶ嫌がっていたように見えました。結果、天龍は敗れてしまいますが、このふたりはあまり相性はよくなかったのかな?そんな感じがしましたね。

こうして一見順調にも見えたSWSでしたが・・・その華やかさとは裏腹に、様々な問題が浮上し91年6月にわずか2年で興業活動停止となってしまいます。そしてこれをきっかけに92年7月、天龍がWARを旗揚げする運びとなるんですね。

新たな船出となった天龍とWAR

WARになると天龍が目指したのはまず新日本でした。93年になると1月に東京ドームで長州力と6年4ヶ月ぶりにシングルで対決。パワーボム2連発で頂上決戦を制します。同年6月には武道館で橋本真也と初のシングルマッチが実現します。

まるで鉄のぶつかり合いのような両者の対決

ぶつかり合いという言葉がこれほどマッチする試合もないような動きのよかった時代の橋本と天龍の対決もまた白熱でした。天龍はこれに勝利すると2月に木村健吾、9月に蝶野正洋、馳浩、藤波と新日本の主力と次々対決。大阪での藤波にはフォール負けしたものの12月の両国ではリベンジし、いよいよ94年1月4日、東京ドーム大会でアントニオ猪木とのシングルマッチが実現となりました。

ついに実現した天龍vs猪木

ボクこれ見に行ったんですが、この試合はメインイベントが終わったあとにスペシャルマッチとして行われたんですが、とにかくメイン終了直後から会場全体が、こう、なんてんですかねぇ・・・緊張感が高まって、そわそわしだしたというか・・・とにかくリング上に、本当に釘付けになっていましたねぇ・・・

技の攻防は見応えがありよかったんですが、しかしスリーパーを巡る展開のときは正直、会場の空気は変わりました。第2回IWGPの決勝後、そして闘魂ライブでの海賊男の事件。ファンの暴動が始まる前って、もしかしてこういう空気が最初は流れるのかなと・・・少なくともボクは緊張感高まりました。落ちてしまった天龍に、なぜ猪木の勝ちじゃないんだ!?いや、あれは反則じゃないか!?そこにきてあのレフリーの締りのない説明です。何を言ってるんだよ!!レフリーできないのか!!こうした声が会場の各場所から聞こえてきて異様な空間に陥ってしまったことを思い出します。映像では伝わらないドラマが、あの日にはあったんですよね・・・

ともかく、ボクは猪木が負けたショックは本当に、正直大きかったですね。でも天龍が勝ったということは、これも大きかったです。

この歴史的な試合も・・・紫レガさんのブログ・腕ひしぎ逆ブログより


つないでいくもの~中編~(1994)


つないでいくもの~後編~(1994)


ぜひご覧ください。


こうして猪木越えを達成した天龍でしたが、一転、同年の5月にはFMWで大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを敢行。96年9月はUインターへ乗り込み神宮球場で、12月はWARにおいて両国で高田延彦と2度のシングルを行いました。


かつてなら絶対に考えられなかった対決


歩んできた人生もやってきたプロレスもちがう・・・だが、本気でぶつかり合えば関係ない!!それこそが、ふたりの戦いが名勝負となった理由だったのかもしれません。そして正当なプロレスからデスマッチ、Uに至るまで、いつ何時、どんな相手とでも戦うというこの心構えこそ、天龍が猪木との対戦で得たものだったんだとボクは思うのです。


すいません、こちらもリンクさせてください!!紫レガさんのブログ・腕ひしぎ逆ブログより


すべらないプロレス~前編~(1996)


すべらないプロレス~後編~(1996)


ミスターもう一丁決定戦(1996)~前編~


ミスターもう一丁決定戦(1996)~中編~


ミスターもう一丁決定戦(1996)~後編~


そしてまだまだ、まだまだ天龍の戦いは続きますが・・・ボクの持っているプロレスの本ではここまでが限界です。


天龍というレスラー、長い間見てきました。そんな中、ボクは・・・本当に繰り返しになってしまって申し訳ないんですが、天龍のベストバウトはやっぱり88年4月のブロディ戦なんです。先に書きましたが、内容はもちろんボクの中では一番です。そしてもう一点、なにより試合前にコーナーに対峙していた天龍とブロディのあの姿、忘れられないんです。今はそのビデオがないので記憶でしか言えないんですが、確かそのシーンはテレビのオープニングのときに映し出されたところだったんですよ。ふたつのベルトを持つ天龍がすごく大きく、かっこよくみえたんですよねぇ・・・新しい時代のプロレスの始まりを感じさせる、いいシーンでした。


しかし引退試合の相手であるオカダは、この試合のときにはわずか生後5ヶ月だったんですよ。そんなふたりが戦うとは・・・


息子が会場で、その姿を見ただけで硬直してしまうほどのオカダのファンということもあり、家でもオカダの試合はよく見ます。


ボクは・・・やっぱり根付いているものがあるんでしょうね。ボクは昭和のプロレスファンなんです。馬場さん、猪木、鶴田、藤波、長州、天龍、タイガー、前田、高田、船木・・・ずーっとそのプロレスを見てきました。なので今の新日本を見ていると、時折りは、うーん・・・となってしまうことがあります。そんなボクのようなファンが2013年の1月4日、15年ぶりに東京ドームへ行ったんです。


ボクはそこで初めてオカダという選手を見ました。まったく知らないレスラーでした。試合見ててもハテナがいっぱいです。バックからクルっと相手を回しておいて、で、自分は何もせず相手に何かをされる・・・これが何度も行われるのにイラッとしてしまいました。なんでわざわざ相手に技をかけさせるような動きを誘発してるんだ?一緒に行った幼馴染に


「あれは何をしたいのかな?」


と真剣に聞いてしまったりしました。そう、このときはレインメーカーという技を知らなかったので、技を交わされて切り替えされていたということがまったく理解できなかったんです。


しかしそんなイラッ!!も・・・ドロップキックを見た瞬間、吹っ飛びました。衝撃が走りました。初めてジム・ブランゼルのドロップキックを見たときの、あの思い出がよみがえりました。もったいない!!これフィニッシュにした方がいいじゃないか!!と思いました。そしてこのドロップキックを、また見たいとも思いました。


いくら息子が、会場で姿見ただけで硬直してしまうほどのオカダファンだからって、はたしてボクはこんなに年に何度も、お小遣い叩いて息子の分までチケット買って、生観戦に行っただろうか?実はボクが見たがってるんじゃないだろうか?知らず知らずのうちにオカダに何かを期待してるんじゃないだろうか?次は何をやってくれるのかなって・・・


G1のリング上で天龍がオカダに言った言葉


「昭和を味わう最後のチャンスだぞ」


ボクのようなファンにして、こうして何かを求めている。だからこそ、天龍はオカダに何かを感じたのではないだろうか?若いオカダに将来を、プロレス界の未来を・・・天龍はその目に時代を見たのではないだろうか!?


なら、その時代、おれも天龍と共に見る!!


“漢”天龍の最後のリング・・・しっかりと目に焼き付けてきたいと思います!!