8月のよう』
この人の書く歌詞にすっかり心を奪われて✨
最近よく、
RADWIMPSの曲を聴いてます。
昔、
といっても、ここ2、3年くらいの話だけど、
気づけば、音楽にいっさい触れていなかった時期があった。
その頃の自分を思い出すと、責任とか、誰かのためにという気負いで、全然心が笑っていなかったんだよね。
自分を認めるには、まだまだ。
自分には理想の世界があって、どうやったらそこにいけるのかばかり考えてた。
だけど走っても、走っても、
思い通りの場所にはなかなか届かない。
まるで、下りのエスカレーターを一生懸命駆け上がってるくらいの疲れようだった。
何が違うんだろう。
どうしたら、どうしたらそこにいける?
四六時中そんなことばかり考えてた。
だから、音楽もきっと流れてはいたんだろうけれど、
私のなかには全然入ってきやしなかった。
その頃の自分はおかしかったんだと気づいたのは、
ずいぶん後になってから。
そういえば、音楽すら聞いていなかったんだってね。
気づけてよかった。
最近はといえば、
こうやって音楽を聴いたり、空を見上げたり、家族と何気ない会話をしているときに、
たまらなく幸せを感じる瞬間がある。
マジで、涙腺が相当弱くなってるらしい笑
日常のなかに、こんなにも心が動くものがあるのかと、
毎日が発見の連続だ。
だから、何が何でも叶えたい願いってやつは、びっくりするほどなくなってしまった。
だって毎日が基本幸せって、そういうことでしょう。
私が追いかけてやまなかったものは、ずっと目の前にあったのだから。
『ある』の対極にあるのが、『ない』
この『ある』を体感するのに一番てっとり早いのは、究極に『ない』を体験すりゃいい。
死ぬほどお腹空いたときに食べるおにぎりとか、めっちゃくちゃ美味しかったりするでしょ。
海外に行ってみると、日本の素晴らしさがよりわかるとか。
だから、頭でわかるのと、
身体でわかるのとでは、全然違うんだよ。
それでも、
あの頃の自分に、こんな話をしても、
『ああ、そういう生き方もあるだろうね。
でも自分は一ミリもそんなのわかりたくないし、興味がない』
っていうのかもしれない。
だって、あの頃の自分の原動力は『ない』だったのだから。
だから、やりきるって大事なんだと思う。
どっちが正しいって話じゃない。
自分の心のまま生きるって、きっと正しさなんかじゃはかれないんだと思う。
私にとってはどれも大事な経験だったから。
そう思えるようになったのは、自己受容のおかげ。
だから、誰かの話じゃなくて、
自分で身をもって知るってものすごく大事なんだと思う。
それが、『自分を生きる』ってことだから。
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