(昨年11月、小康状態のはなちゃん)


1月中旬の夜、老猫はなちゃんが亡くなりました。


昨年11月に弱り、その後少し元気になったものの、体は痩せ細り足腰も弱っていました。


亡くなる3日前にぐったりして、ああもう今度はだめかもしれないと思い、


その日はパートナーと私は一日中家にいて、交代で膝に乗せて撫でたり、抱っこしたりしていました。



亡くなった時は、はなちゃんの体の上にパートナーが覆い被さり、その上に私が被さり、号泣しました。


はなちゃんが亡くなり、はなちゃんの存在の大きさと、どれほど私たちがはなちゃんに元気づけられていたかが身に染みました。



18年前に8匹の赤ちゃん猫を拾い、里親を探し、最後に残ったはなちゃんを育てることにして、愛情を注いで来たパートナーの悲しみは深く、側で見ていても心配になるほどです。


それでも何とか自分を保っているようです。


11月に弱った時、そのまま逝ってもおかしくなかったのに、私たち、とくにパートナーがはなちゃんの死を受け入れる心の準備のために、この2ヶ月間はなちゃんは頑張って生きてくれたのだと思います。



それなのに、この2ヶ月間、私ははなちゃんのご飯を作ったりお世話をしながらも、ダンスの衣裳をネットで物色し、行きたい所に行き、クリスマスケーキを探したり、ツィッターをだらだら見たりしていました。


たった2ヶ月しかないんだったら、もっとはなちゃんの顔を見て、体に触れて、寄り添えば良かった。



一方パートナーは、はなちゃんの免疫アップのため色々なキャットフードを試し、毎日はなちゃんを膝に乗せてブラッシングとマッサージをしていました。


亡くなる数日前には、彼ははなちゃんに筋力アップのストレッチをさせるつもりで、イラストを描いて壁に貼り、膝に乗せて何度かストレッチしていました。





それからパートナーの提案で、はなちゃんがゆっくり寛げるようにこたつをもう1つ買ったりしました。(こたつが1つだと元気なタビーと一緒で、タビーがはなちゃんにちょっかいを出したりするので)





私から見れば、パートナーのはなちゃんへの愛情は過剰というか溺愛で、手が塩まみれになるほど手塩にかけていて、


はなちゃんの死を嘆き、さらに「ああすれば良かった。こうすれば良かった」と後悔して泣くパートナーに、


「はなちゃんは手塩にかけて育ててもらって、心も体も愛情いっぱいで、愛情がこぼれるくらいで、十分すぎるほど幸せな気持ちで亡くなったと思うよ。これ以上後悔することなんてないよ」


と慰めています。



はなちゃんが亡くなった翌日、パートナーが疲れて横になっていたら、膝や太もも辺りが急にぽかぽかと温かくなったそうです。


そこは、よくはなちゃんが乗っていた場所で、「はなちゃんが来てくれたんだと思うよ」と二人で話して嬉し泣きました。



亡くなる前、私ははなちゃんに、「はなちゃんが亡くなったら○○ちゃん(パートナーのこと)は嘆き悲しむから、近くに来て慰めてね。○○ちゃんを見守ってね」とお願いしたのです。


なので、パートナーの膝に遊びに来てくれたのだと思います。



はなちゃん18年間ありがとう。