鈴の音 -270ページ目
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今にフォーカス

<2005年1月11日>


最近、思うこと、、、、。

よく、ヨガをやる人は「今にフォーカス」ってことをいう。
それってどういうことだろう、、、。

私はヨガの道を志してから、ずっと自分の気持ちにフォーカスをおいて、見つめてきたと思う。その時の自分なりに、、、、。
そして色んな自分に気づくことができ、それを受け入れることが困難に感じたり、、、そこで、また色んな感情と向き合ったり。

私がヨガに対して、辛くなり、ヨガの素晴らしさを信じられないでいた時、とても助けとなった友人がいた。いつも、気づかい側にいてくれ、私は兄のように慕っていました。ヨガを離れ、辛かった時も私の良き友でいてくれた。
そんな大切な人を突然亡くしました。
あまりにも突然で、受け入れがたかった。

その時、「死」というものについて考えました。
死を身近に感じた。そして、誰にでもやって来る。それがいつ来るかは、決ったこと。流れがあるのだと思う。でも、私達はそれがいつかは知れない。特殊な人もいるだろうけど。
だけど、そこに目を向けようとしないでいる。
私は始めてその時「死」について深く考えた。
彼の人生は短かったけど、素晴らしいものだった。彼がこの世にいる時に居合わせたこと、出会えたことに感謝した。長さではない。
私は彼が私に与えてくれたことを無駄にしないよう、これからの人生を大切にしたいと感じた。

私もいつ死がおとずれるかわからない。
だから、今終わりが来ようとも、後悔しないように日々を、、、今を生きたいと思う。
過去でもなく、未来でもなく、、、。
悲観的ではなく、積極的に「今」を生きるということ。
「今にフォーカス」ってそういうものだと思う。

目を閉じてなんとなく生きるのは自分に対して失礼だと感じる。


今の自分自身にフォーカスをし、自分を見つめ、今の自分にできる最良の選択ができるよう、常にクリアな自分でいたい。シンプルっになって行くのは勇気がいる。表面上だけならなんとでもできる。でも、私はヨガの道を進んでる。
毎日、ヨガの練習で古い自分と別れ、新たな自分を作り出したい。



ヨガは素晴らしい。

アサナは体操ではない。
日々の練習、アサナの中から自分を見つめ、気づいていく。
ポーズが先に進むことがヨガではない。
それは練習のひとつにすぎない。
ビンヤサを大切にしたい。アサナを止めてまで、考えることがあるだろうか、、、話すことがあるだろうか、、、。
頭でアサナをやっていないか、、、。
いつも呼吸に帰る。
今を大切に、、、一呼吸一呼吸を、、、プライマリーは人生そのもの。
生と死。
破壊と再生。
同じ練習は二度とできない。
アサナに捕われてないか、、、。
ジャッジをしている自分に気づいているか、、、。
自分を知らなければ、、、捕われている自分に気が付かなければ、手放すことなどできない。

そのために今にフォーカスしていくのだと思う。

私にとってアシュタンガは精神修行。
心を自由に解き放つため。
すべてと繋がるため。
受け入れるため。

OM,,,,

聖地インドへ


<2004年12月28日>


とうとう、インドのマイソールへ行く事を決意した。

最近はマイソールへ行く人は急激に増えた。でも、私はインドでなくても修行はできると思っていた。それに、私にとってマイソールは聖地である。修行の地だと信じている。ヨガやってるから~インドでヨガ~って感じに行けるような気軽な場所ではなかった。私は幼い頃から、インドに憧れていて、インド人の三白眼がたまらなく好きだった。死ぬまでにはインドへ行きたい!と思っていた。それが、ヨガを始めてから、インドに行く時はマイソールに行く時になり、非常に遠い存在に感じていた。

インドのマイソールでは、出来ないアサナがあると、そこで終りにして出ていかなければならない。例え、それ以外のアサナが全部できてようが同じ。さらに、もっと初心者だとグルジのシャーラにも入れないらしい。だから、せめてプライマリーシリーズが出来てから行こうと思っていた。自分の練習を日本でしっかり積んでからでないとグルジに失礼だと感じていた。長期で行けるならまだしも1ヶ月という短い期間で中途半端なままインドに行く気はなかった。

なのに、何故突然インドに行く事になったのか、、、。

本当に突然だった、、、、。つい最近まで、ヨガを初めて以来最大の溝に落っこちていた。ヨガどころか生きる気力すらなく、ヨガを教えることすら、苦痛に感じていた(すみませんでした)この1年本当にヨガに懸命に打ち込んで来た。それが何かの拍子に切れてしまった、、、。ただ、淡々と日々を過ごし、一日を終えることで精一杯だった。だから、休むことにした。始めての長期の休みとはいっても1週間だけど、、。沖縄に旅行に行き色んな人々と会い、ヨガと離れた生活をした。心が落着いたけど、相変わらず淡々と日々を過ごした。でも、徐々に良い感じで開き直ってきて、固まっていたものが吹き出すように、感情や色んなものがドロドロと吹き出た。
 
沖縄に行く前は吐き出すエネルギーもなかったのが、またヨガに打ち込み始めエネルギーも上がって来て、爆発した!!爆発したら、何かが抜けた感じがして、体も軽くなり、バンダが今までにないくらい上がった。ヨガのアサナをしてない時にも常にバンダを感じた。そしたら、急にインドでも行ってこようかな~って気になって来た。こだわる意味を感じなくなっていた。まだ、スプタクルマーアサナが1人では完成系に入れないのだが、、、それでもいいや~という気持ちになった。そんな時、友達がマイソールへ行く事になり、私もそれに便乗し、連れてってもらうことになった。

決ったとたんに、できなかったスプタクルマーアサナができた!!毎回という訳にはいかないが、できた。行くべき時だと感じた。自分がそう思える事が大切なんだとおもう。条件ではなく、自分自身の気持ち、、、行く時と感じた時が、行くべき時なのだと思う。アサナができる、できないではなく、意味があってそこへ向かうのだと思う。だから、マイソールに行ったから、どうなるって訳でもない。本人の気持ち次第だと思う。求めるものが違えば、返ってくるものも違う。人は人私は私。私は私のマイソールを体感したい。

1/25から一ヶ月の修行です。
この時期私の師である、ケン ハラクマも丁度インドにおり、アシュタンガの聖地マイソールで日本でアシュタンガを私に伝えてくれた、ケン ハラクマと会えることを本当に嬉しく思う。
また、私がアシュタンガを離れていた時期にまた戻るきっかけとなった、ゴビンダ カイと同じ時期にインドにいれることを幸せに思います。

行って来ます!!

ナマステ

怒りと嫌悪

<2004年12月12日>


私がヨガだけの生活になったのは、今年の2月からです。

最初は誰も来なかったりして、本当にこれで生活できるのかと思ったほどで、何度もバイトを探そうかと思った(笑)

とにかく最初はひどく疲れてしまって、終わるとすぐに寝てしまいました。今の半分くらいしかクラスがなかったのに、昼寝をしないと、体力が持たなかった。
食事もいつとっていいのかわからなくて、生活のリズムも崩れた。夜はもともと自分の朝の練習の為に食べてなかったけど、夕方に食事をしていた。でも、夕方にクラスが入ったため、食べるなら夜になってしまう、、、。じゃーいつ食べればいいのだろーと思い、先生に聞いてみた。「食事は一回でいいんじゃない」と言われ、「そ、そんな~」って思ったけど、やってみたら別にどってことなかった。逆に練習は楽になった。

朝自分の練習→教える→昼寝&食事→教える→寝る

単純な生活。食事は3時頃にとって終わり。夜は9時くらいに寝ていた。他には何もできなかった。(ちなみに今は夜軽く食事をすることもある)

そんな生活もなれた頃、酷い罪悪感に襲われた。ヨガでお金を稼ぐことにたいして、悪い事をしてるような気がしてならなかった、ヨガをビジネスとして扱ってるようで、、、。
その頃、生徒さんも増え、自分の稼ぎが前より増えていた。(ちなみに、私はその頃一月3万、3畳の部屋に住んでいた。その前も週4日しか働かず、ヨガしてたから、稼いでないんだけど)私は自分のヨガの練習がしたかっただけで、その分のお金と最低限の生活ができればよかった。
ヨガブームで生徒の数も増えていき、先生も不足していて、仕事の話がいつもあった。私はセンターがわからなくなってき始めていた。お金に対して過敏になっていた。いつも、生徒からお金をとることに罪悪感を覚えた。前よりお金に余裕があるにもかかわらず、お金を使う事にも罪悪を感じ、気軽に使えなくなった。(お陰で、貯金ができたけど)

ヨガブームでスタジオは人が異常なほど増えていた。周りに対して怒りが溢れた。ヨガを大切にして欲しい。

職業としてヨガの先生になりたいなんて思わないで。

お金儲けの道具にしないで欲しい。そんな、思いが溢れた、、、。
そして、ヨガをやってるにもかかわらず、怒りが生まれる自分が嫌になった。相手に向けるのは違うってことは分っていたけど、どこへ向ければいいかわからないし、消化できなかった。そして、自分と向き合った。この怒りはどこから来るのだろう、、、。

そして、思った。私が怒り、嫌悪するものはすべて私の中にも持っているものだと。だから、異常にお金に敏感になるし、怒りを覚える。そして、その気持ちの大小はあるだろうけど、人は誰でも持っているということ。自分だけが良い修行をしているだとか思うこと事体が、奢りなのだと感じた。
そう気がついた時、ヨガを教える資格などないと感じた。
自分の中で芯となるものがなかった、、、。私は自分が未熟であることに気がついた。もう、辞めようかと悩んだ。今ここでこれほど、怒り悩み苦しむのは、未熟な私がヨガを教え始めてしまった酬いだと、思った。これがカルマだと本当に感じた。

私は自分の欲求を認めた。綺麗ごとだけじゃなく、私の中にもお金を欲しいと感じたり、自分の獲たものを試したい、教えたいという欲求があることを認めた。それを感じれるから、バランスがとれるのだ。そして、初めに戻った、、、私の中にあるものを伝えよう。今、私に出きることは、自分の練習を真剣にやること、そうすれば伝えたいことは溢れて来る。だって、自分が煩悩に塗れているから、、、毎日その中で生き、気づきがあるから。

この迷いが細いながらも、私のセンターを作っていった。
真理っていうのは、はっきり見えるものではなく、こうした日々の葛藤の中で色んなもんが重なりあい見えて来るものじゃないかと最近思う。だから、きっと近くにいったら、何もないんだと思う。だから、絶対こうだ!なんてものは、ないんじゃないかと感じる。これは、私のような猪タイプの人間には、受け入れがたいこと、、、だから、こんなに色んなことが起き、私は学んだんだと思う。これは、ヨガをやって得た宝です。

ここから始まった

<2004年 12月 12日>


この一年、今振り帰ってみると頑張ったなーって思える。一気に5年くらい歳とった気がする、、、。

私はヨガを始めてちょうど4年になる。しかし、初めのうちは毎日練習もしていないし、ヨガを理解していなかった。私がヨガを始めたと言えるのは一年前からだと思う。


<始まり>
4年前の10月NYに遊びに行った時ヨガと出会った。その時、丁度NYはヨガブームであった。友達に誘われ、始めてヨガをやったときはなんとも言えない心地よさだった。言葉もわからなかったけど、「OM」の響きの力を覚えている。日本に帰ってきてすぐにヨガのスタジオを探した。たまたま最初に行ったのが今のスタジオであった。電話をしたら「ハロー」って言われ、びっくりした。そう、そこはインターナショナルな空間であった。生徒の3分の2は外国人で、クラスは全部英語だった、、、。(今はほとんど日本人です)



<練習>
しばらくはダンスもしていたので月に数えるほどしかいってなかった。先生が始めたばかりの私によく声をかけてくれ、親しくなっていき、私はまだダンスがメインだったので、先生がヨガのスタジオの下にあるイベントスペースでダンスのクラスを開かせてくれた。私はとても嬉しかったし、感謝した。それから、スタジオの手伝いをするようになった。その時は時間があれば、スタジオにいて、掃除や雑用をしていた。毎日、ヨガをし、一日3クラスやっていたこともあった。必死に練習し、出来ないと感情的になり、酷使していた、体中が痛んだ、、、。そして、その中から、自分自身をアタックしている自分に気付いた。精進していると錯角をおこしていた。でも、どうしたらいいのかわからなかった。ヨガをやってエネルギーがわくから、欲求も増した。その頃はまだ自分をまっすぐ見つめることができなかっただから混乱していた。抜け出る道を探すのにヨガにすがった。出来ないと、自分の努力がたりないと感じ、日々、自分が無能に思えた。あることがきっかけになって、スタジオへ行けなくなった。


<復活>
ヨガをすることも嫌ですべてから離れたかった、、、でも気づきが始まったしまったら、知らなかった時に戻ることはできない。でも、アサナからはなれたお陰で、急速に頭が整理されてきて、ヨガの偉大さに気づいていった。アサナをやる意味、、、前とは違う自分、、、生きること、、、この時期大切なものに気づきはじめていた。でもまだまだ、何がなんだかわからなかった。そのためには、私にはアサナが必要だった。でも、ヨガの世界に戻る覚悟ができずにいた。後戻りはできないのを感じていたから。そんな時、友達に進められある人のWSにでた。その時言われたことが、

ヨガはエクササイズや趣味でやるものではない。
最低週に6日は練習をし、年に一度はインドへ行く。叉は長期にわたり集中的にインドで修行する。
サンスクリット語でカウントができ、アサナの名前が言えること。
それがヨガをやるものの最低の条件だ!!

がび~~~~~ン!!とショックでした。
私にはそれが選択の時だと感じた。本当にヨガに戻る覚悟ができているのか聞かれてるような思いだった。
もちろん、その人はそんな事情しらないけど。その人の言っていることがすべてではないとは思う。色んなシュチュエーションがあるし、100%の善もなければ悪もないと思うから、その時に自分が判断することだと思うから。。。
私の中で何かが動いた。私は家賃に残していたお金を使ってすべてのクラスに参加した。ほとんど、練習をしていなかった緩み切った体は、日常生活もままならないほどの筋肉痛に襲われた。そこから、またヨガに打ち込んだ。朝家で練習をして、仕事に行き、夜はクラスに参加した。夜ではダメだと感じ仕事を変えた。朝の練習はどんどん私を変えていった。



<代行>
そんな時、インドに行く先生の代行を頼まれた。。前にもクラスをやる話ははあったが、日程も合わなかったのもあり実現しなかったし、その頃にはヨガを知る程に自分にはまだまだ無理だと感じていたから、断っていた。とんでもない!!と言って断ったのだが、ヨガブームとみんなのインド行きが重なり、人手がいなかった。何度も、出来ないと言ったが、最後、喧嘩になりそうなほど言い合いになって、パフェを食べさせられてるうちに「はい」と言ってしまっていた。すぐ、後悔の念にかられたが、開き直ってありのままの自分でやるしかないと覚悟を決めた。



<クラス>
私は教えることが恐かった。それは、自分自身が天狗になるのではないか、、、自分の練習が甘くなるのではないか、、、そんな思いがあった。(もともとお調子者の気がある)しかし、まったく逆だった。自分が謙虚さというものがなかったのに気づき、恥ずかしくなった。出来てると思い込んでいただけだった。生徒に発してる言葉は自分にそのまま返ってきて、いままでやっていたアサナがいかに、怠惰に行っていたかわかり、すべてのアサナが壊れた。決めつけとは恐ろしいなーと今では思う、成長を止める。でも、いまでも日々色んなものをジャッジしている。
ますます、自分の練習に真剣に取り組めるようになった。そして、この機会に感謝した。そして、もっとヨガに集中したいと思い、仕事を辞めた。ヨガ中心のライフスタイルに変えようと思った。
教えることにより、教わることが多いことが多かった、、、。代行が終わる頃には仕事もなくなるので、なんとか1クラスくらいクラスをもたせてもらいたいと思うようになっていた。(物凄いスピードでチェンジした)
すると、インドから帰ってきた先生に話したら、、、「他に仕事なんてしないで、ヨガだけの方がいいでしょ~」と言われた。たしかに、そうだが転回が早すぎる!!まだ、無理~って気持ちもあったが、その時はとにかくヨガ中心の生活を送りたかった。勢いで決めてしまった。振って湧いたようにヨガだけの生活となってしまった。その時、丁度2人の先生が独立してスタジオを持つことになり、クラスにスペースが空いてしまうことになってたらしく、すんなりと私のクラスが決まり、あれよあれよという間に決っていった。それもあり、これは運命かもしれない、、、(お調子者)と、感じてしまった。あとで、浅はかであったと非常に後悔することになる、、、。

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