今年は写真展にもいくつか脚を運びました。その中でインベカヲリ★さんという写真家とその写真集『やっぱ月帰るわ、私。』に強く惹かれました。きっかけははて?なんだったか?

まず新宿ニコンサロンで開かれた彼女の写真展に行ったのですが、その時は写真展最終日の閉展1時間前で、なおかつ次の予定のために30分で会場を出ねばならず、満足に見ることができませんでした。

そこで、12月23日、新宿御苑前の「M2ギャラリー」でインベさんと瀬戸正人さんのトークがあるというので行ってきました。

まず、腹ごしらえに中華屋さんに入ったのですが、一瞬で後悔するほどに雰囲気の悪い店で、トイレの場所すら聞けませんでした。でも、ごく普通のエビチリ定食をいただき、会計の時には「足元にお気をつけて」と言ってくれたので、案外いい人だったのかも。ローソンでトイレを借りたお礼に缶コーヒーを購入しM2ギャラリーへ。


トークは有料だったので、それなりのものを聴かせていただけるのでしょうね?と、少し意地の悪い気分でした。結論から言えば、十分におもしろかった。どちらも写真家同士ってところもなかなかスリリングでした。

写真にどこまで作家性を入れ込むのか?瀬戸さんは作家性(表現)はできるだけ削いだ方が100年後にも飽きない写真が撮れる、といいます。一方でインベさんはやはり表現は入れ込みたいという立場でした。瀬戸さんはわざと挑発したのかもしれない。

表現と表現で無いものを分けるというのは、写真と言えども難しいんじゃなかろうか。瀬戸さんも、100%表現でない写真が撮れるとは言ってませんでした。フレームで切り取り、シャッターを押すのは写真家です。表現と表現でないものとの割合は意識的に調節できるものと、瀬戸さんは言っていましたが、写真を撮らない私にはそれが可能かは判断できません。

写真であれドキュメンタリーであれ、映り込むのは作家と被写体の関係性です。被写体が自然であってもそれは変わらないんじゃないかと私は思います。インベさんは、被写体となるモデルと対話し、被写体の中に自分が特別に感応する部分を見いだし、それを撮るといいます。

作家が被写体との関係性を撮りたいと思うのは、なんとなくわかる気がします。いや本当はどこまでわかっているのか怪しいのですが。でも、見る側は何を見るのだろうか?関係性を見て、それでどうすれば良いんだろうか?写真を見るという作業に、未だに違和感があるのはそこです。でもやっぱり見てしまうのですが。

他におもしろかったのは、インベさんが他の写真家をどう評価しているのかわかったところです。まあでもそれは、有料の部分でしょう。後は「自分は言葉に自信がある。」と言い切ったのはとても印象的でした。私自身も実は言葉に自信を持っているけど、人前で言明するのは避けてきました。でも言った方がいいね。

写真と言葉の関係についていつも思い出すのは、赤々舎がまだ清澄白河にあった頃の写真展で劉敏史さんが言ったことばです。「まず言葉にして、それでも言葉にできないものを撮る。」僕は写真展に行くと必ず写真家の言葉をまず読みます。印象に残る写真展は、例外なく写真家の日本語がうまい。

実は以前新宿ニコンサロンで『やっぱ月帰るわ、私。』の写真展を見たとき、わずか30分だけの滞在時間に私が何をしたかと言えば、インベさんの詞書きをスマホ弾いて必死でメモったのです。しかもご本人が隣に立っているのに。とんでもない男だ。

『やっぱ月帰るわ、私。』というタイトルはすばらしい。写真集の詞書によると、「カメラの前で、自分の根源にある心象風景を晒し、世間のうねりの中から抜け出していくさまを『竹取物語』に重ねて表現した。」だそうです。

トークの後質問できる機会がありました。まず、インベさんの写真には1枚1枚独特のタイトルがついているが、あれはなぜつけるのか?という質問がありました。インベさんは、タイトルのない写真は考えられない、とおっしゃっていました。

確かに独特です。例を挙げれば、「アンナチュラルごっこ」「落ち着かないナーシシズム」「真っ白という静けさが逆に雑音」「東京の水をはじめて飲んだとき、これはお父さんだと思った」など。

写真にタイトルをつけるというのは、言語の写真化であり、写真の再言語化なのでしょう。

ちなみにフリーマガジン『VICE』の「フォトイシュー2013」(なかなか手に入りません。でも僕は持っています。ククク)では、『やっぱ月帰るわ、私。』の中の何枚かの写真をピックアップし、「ターHEL穴トミヤ」さんという人がことばでコラボレーションしていてなかなかおもしろいです。それにしても「ターHEL穴トミヤ」師、いったい何者なのか?平成の杉田玄白か?

また、『ノーモア立川明日香』という本でもインベさんの写真を見ることができます。

立川明日香を覚えていらっしゃるでしょうか?「美人過ぎる市議」として埼玉・新座市議に当選するも、居住実態なしとして辞職に追い込まれた彼女です。その彼女は生後すぐに養護施設に預けられ、十数年間をそこで過ごすのです。こういうと何か同情してもらいたいのかと嫌な思いがする方もいらっしゃると思いますが、この本はそういう本ではありません。写真と、生い立ちの部分をインベさんが、市議としての活動を小川善照さんが担当し、それぞれ立川本人やその周辺を取材してまとめたノンフィクションです。

なかなかオープンに伝わってこない施設の内実や、オープンになっているはずなのにほとんど知られていない市議会議員の活動ぶりがわかる好著になっています。

おもしろいのは小川さんとインベさんの立川さんに対する態度の違いです。小川さんは突き放す感じなのですが、インベさんの態度はなかなか表現するのが難しい。懐に飛び込みながら距離をとるというか、うまく言えないがそういう感じなのです。『やっぱ月帰るわ、私。』のモデルとなっている女性たちとの関係もそういう風に見えます。

ついでに言えば、トークの質問の際に、写真集の詞書で、「男性の場合は、被写体となることに明確な理由をもち、完成された姿を見せたがる。逆に女性はもっと柔軟で、自分を客観視したい、違う角度から見たい、何か自己主張したいときなどにカメラの前に立つ感性をもっている。」と書かれていて、それについてあまり納得いかない様子の男性が質問していました。私は素直に納得できますけどね、男性についての言及には。ただ、質問した男性が言いたかったのは、たぶん自分にもインベさんの言う女性的側面があるってことかな?それなら私もそう思います。

最後に写真集『やっぱ月帰るわ、私。』を買いました。最初からそのつもりでしたが、トーク聞いた後で良かった。インベさんの文や写真が載っている『ノーモア立川明日香』や『VICE フォトイシュー』も先に読んでいたので、その件についていろいろ聞きたいことがあったのですが、人見知り故にうまく話せず。

「サインしますか?」と聞かれた。僕はサインは要らない方なのですが、ご本人に言われたら断れるはずがない。大切にしましょう。




ううむ、インベカヲリ★『やっぱ月帰るわ、私。』とてもいい。すごくいい!写真集買うのなんて、川島小鳥『未来ちゃん』以来なのですが、未来ちゃんもやっぱ月帰るのだろうか?

この写真集が自分の書棚にあることがとてもうれしい。これからいろいろなタイミングで、この写真集を眺めることになるでしょう。





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