もはや毎年大晦日恒例になった1年の回顧を行いたいのですが、私先ほど今年最後の仕事を終えたばかりであり、視野を狭めても広めても、この1年を振り返る余裕はなかなか見つかりません。

余裕がないのは時間的なというよりもむしろ精神的なものでしょう。

今年はいつになくやりたい放題でしたね。

食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、行きたいところに行き、見たいものを見る。

ここまでやって良いのかなと思ったことが何度もありましたが、結局突き抜けてしまった、というのが正直なところです。

余裕があったからいろいろできたというよりは、いろいろやった結果余裕が無くなったという思いが強い。

今年観た映画はどれもすばらしかったですね。『あるいは佐々木ユキ』『アルマジロ』『わくわく不倫講座』『新しい毎朝をありがとう』『選挙2』『立候補』『恋の渦』『標的の村』『蜘蛛の地』『ジプシー・バルセロナ』『子宮に沈める』『さよなら渓谷』『ダークシステム―完全版』『ある精肉店のはなし』。こんなものだったかな?もっと観た気がするけど。

読んだ書籍なんて、挙げたらきりがない。

展覧会にもいくつか行きました。世田谷美術館の「アンリ・ルソーから始まる―素朴派とアウトサイダーズの世界」や馬喰町ART+EAT「足りない活字のためのことば」など。写真展ではインベカヲリ★「やっぱ月帰るわ、私。」や齋藤亮一「SLがいたふるさと」。友人の勝又圭介くんのピアノ演奏会にも行ったし。トークイベントも積極的に脚を運びました。

旅行にも、伊豆大島に2回、袋田の滝、鶴岡・山形・仙台、信州東御。

ラインナップはすばらしい。どれもこれも非の打ち所がなかった。

でも結局は自分の中を通過しただけだったんじゃないか?むしろ積極的にそうさせてしまったんじゃないか?

そう思う理由は簡単で、twitterでつぶやいたりfacebookに挙げたりするだけで満足してしまったと。誰かに紹介するだけで、自分自身をメディア化するだけで終わりにしてしまったと。

人に紹介することは悪いこととは思いません。良きことどもを、自分より深く味わえる人、自分より味わうにふさわしい人にぜひ味わってもらいたいと思うからです。

ただ、それだけではやはり寂しい。いつまでも空虚な箱のままになってしまいます。それではメディアとしてもいずれ役に立たなくなるでしょうね。感性が摩滅する。

来年はいろいろなものをもう少し少なくしてみようかな?そして、残すべきものを残すための工夫をしてみようかな?それはまず書き残すことか?それ以外あるかな?

「節がないのは切ないね。」とは、代々木ゼミナール英語科の至宝・佐々木和彦大先生の至言です。

これを単に英文法教授における駄洒落とのみ認識するのは、あまりにももったいないというものでしょう。

今年の漢字は「輪」でしたが、私に足りないものを漢字1字で表すとすればそれは「節」ではないか。

節約・節制・節操・節度。

来年は少し意識して節目をつくり、「溜め」を築きたいですね。

できるかなあ。あと数時間で人が変わるとは思えないけど。

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今年はもう少し社会問題にも踏み込んで回顧するつもりだったのに、結局個人的な、しかもちょっと37歳とは思えないような内容に終始してしまいましたね。まあ、仕方がない。

今年も1年、ありがとうございました。

毎年願うことですが、来年がみなさんにとって良い年でありますように。