0600名古屋着。0609の関西本線に乗らねばならないので急ぐ。すれ違う女性たちは、皆かわいらしく見えた。名古屋とはそういう土地なのだろうか。


列車を待つ列の最後尾に並んでいたら、列車に乗り込んだ乗客のみなさんが座席を進行方向に向くように一斉に直していらっしゃるのでビックリ。西の方にはこういう習慣があるのか。

木曽三川、輪中地帯を通過した辺りで朝焼けをみる。


遠くに見えるのは石油化学コンビナートの本場・四日市の煙突であろうか。

0836松阪駅着。


松阪は、国学者・本居宣長を生んだ地である。4年前に来たときは、「本居宣長辨當」という駅弁を食したのだが、今回はもういいや。和牛の入った駅弁もあるが、申し訳ないけど、やはり専門店で食すのとは比べものにならない。

「食べログ」様によると、松阪には朝0800から開いている洋食屋があるという。興味深い。しかし駅から800mか。0923松阪駅発に乗らねばならない。急いで歩いて片道10分。料理が出てくるまでに10分として、食べるのにかけられる時間は10分ほどか、などと頭の中で真剣にシミュレートしながら店を目指す。

が、店に着いてみたら、0930開店じゃんか!「食べログ」のヤツめ!また謀ったな!今まで何度煮え湯を飲まされてきたことか!

憤りながら駅に急ぐ。しかし、その道すがら考えた。これはもしかしたら、自分自身のせいかもしれない。『古事記』の研究に生涯をかけ、「漢意(からごころ)」を排して日本古来の精神を追究した碩学を、「本居宣長といえども所詮は駅弁」と、分を弁えずに侮り、オムライスにしようかな、それともハンバーグか、などと安易に洋食に走った自分への、何者かの警告だったのかもしれない。

0923、予定通り松阪駅発の紀勢線に乗る。

紀勢線のパノラマはとにかく美しい。名古屋から新宮に向かうと、右手は紀伊山地、左手は太平洋である。


紀伊山地の杉は、他に比べて心なしか姿勢がよいように映る。そして、紀勢線はムダに停車時間が長い。これも旅人には嬉しいことだ。紀伊長島という駅では、28分間も停車する。当然途中下車する。


4年前にもここで降りた。その時に見つけたパン屋さん「ブレジャン」は残念ながら定休日。


列車に戻ると、白人男性が私に話しかけてきた。私はなぜかどこにいても外国人に良く声をかけられる。彼もまた「青春18きっぷ」の旅人だという。前日は伊勢神宮に行った。これから熊野三山や熊野古道を旅したいが、全然下調べをしていない。いろいろと教えてくれないかという。

彼が私に話しかけたのは、とてもluckyなことだった。なぜなら私は山川出版社『詳説日本史図録』を持っていたのだ。自分でもなんでこんなものを持っていくのかと訝しんだが、まさか役に立つとはね。

『図録』の写真を見せながら説明した。新宮には熊野速玉大社があるが実はもう1つ見ておくべきスポットがある。神倉神社だ。そこには「ゴトビキ岩」という巨岩がまつられている。熊野那智大社も「那智滝」が信仰の対象だ。つまりこの2つは、自然崇拝という少なくとも千年以上続く古い信仰を守っているのだ。

僕は「アニミズム」という語を使おうとしたが、通じるかわからなかったので止めた。でも、彼なら通じただろう。なぜならとても教養のある人だったからだ。

ここで残念な告白を1つ。彼の日本語は完璧で、私が英語を使う余地は微塵もなかった。

ハワイ出身で、1990年代は関西で仕事をし、2000年代はアメリカに戻り、2010年代に入って東京で仕事をするようになり、今に至っているという。90年代と10年代の比較や、この国の都市部と農村部の違いなどを聞かせてもらったけど、とても興味深かった。

途中駅で女子高生が大量に乗ってきた。弁当を食べたり休みにどこに遊びに行くか話したりしていた。

1320、新宮に着いた。