12月24日1439、東福寺駅着。

ここでは元同僚と待ち合わせていた。彼は私と唯一入社年月日が一緒であり、私は彼をウチの事業部ではもっとも優秀な人物だと思っていたので、早期の退社は残念であった。

改札前で待っていてくれた彼に久闊を叙し、自分がスマホを持っていないことに気づく。彼に電話をかけてもらうも鳴動なし。すぐに駅窓口の女性に相談するも乗っていた号車がわからなければ探しようがないという。隣の京都駅に停車中のはずだから、行ってみてはと提案され、そうする。

京都駅に着き、女性の車掌にスマホが届いていないか聞いてみるが、ないという。が、別の女性駅員がスマホを届けてくれた。他の乗客が見つけてくれたという。

で、二人の女性JR職員を前にして元同僚が一言。

「おふたりとも美人で、スマホ忘れてよかったですわ。」

さすがは松菱。有能だな。

私は女性の容姿を本人の前で評価するなんてためらわれるわけだが、「美人」というのは十分に抽象的で、相手を傷つけない表現だ。しかも、相手はおふたりだし。

東福寺に戻り、北上。まずは私が尊敬してやまない後白河天皇の法住寺陵へ。

 

後白河法皇は、ご存知のとおり、源平の争乱の時代、平清盛・源頼朝という文字通りこの国の歴史を形作った超大物政治家2人と対等に渡り合い、頼朝に「日本国第一之大天狗」と評された人物である。信仰に厚く、私が前日に参詣した熊野にも生涯に34度も参詣している。今様(当時の流行歌)にも夢中で、身分の貴賎を問わず側に召しては歌を習い、何度ものどをつぶしたという。「遊びをせむとや生まれけむ」で有名な『梁塵秘抄』はもちろん彼の編集だ。4年前にここに来たときは陵への入り口が開いていなかったので、隣接する法住寺の奥さんにかけあい、宮内庁職員を呼んで開けてもらった。バイクでやってきた彼は、「すみませんでした。」と言ってあけてくれたものだ。

この陵は蓮華王院(三十三間堂)の向かいにある。蓮華王院は、清盛が後白河院のために建立したものだ。

 
  が、なんとこの日は1530で受付終了。この時1531。

スマホさえ置き忘れなければ!後白河陵を後回しにしていれば!

さらに北上。

 
 五条の「山茂登」は中学の修学旅行時にお世話になった。夕食はすき焼きだったな。牛肉嫌いの友人が1枚だけ豚肉が混じっていたと言っていたが、真偽はもはや闇の中。

 
 六波羅蜜寺は空也が建てた寺である。空也は10世紀の僧。当時は釈迦入滅後2000年が経ち、釈迦の教えが正しく行われなくなる「末法の世」が近いと信じられ、関東では平将門、瀬戸内では藤原純友が反乱するなど、社会も精神もささくれだった時代であった。そんな中、平安京の市に立ち、人びとに魂の救済の術を説いたのが空也であった。彼は狂躁的な口称念仏により、市中の民衆の熱狂的支持を得た。彼こそは日本最初のストリートロッカー。六波羅蜜寺に展示されている、唱える念仏の一音一音が仏になったという伝説を写した有名な彼の像は、信者にとっては事実そのものであったろう。

私は空也のことも深く尊敬しているので、実はこの寺には定期的に寄付をしている。すると、「御篤信之証」というプラスチックカードがもらえる。で、それを受付で提示するとフリーパスとなる。この日は「印仏供養会」という特別な念仏のある日だった。その儀式を受けながら思ったのだが、やはり仏教者は皆に伝わることばで語らねばならない。私が空也を信仰しているのは、彼がそのようなことばを持った存在だからである。

近くの「ヴィオロン」というカフェで一服。

 
 ここも4年ぶり。4年前は開店したばかりであった。当時はここで3時間ほど読書をして過ごした。コーヒーを3杯ほどたのんだと思うけど。あの時はサービスで小さいアフォガートが出てきた。あの時以来僕はアフォガートが好きだ。

 
 当時はベビーカーに乗せられていたここんちのお子さんも、今ではもう4歳か。大きく、かわいくなっていた。

友人と別れた後もトラブル続きで、結局宿についたのは20時過ぎ。

 
  泊まったのは「白河院」という宿。後白河院の曽祖父で、院政を開始したことで知られる白河法皇の建立した法勝寺の跡にある。

 
 
  
 
庭も、高名な庭師によるものという。普段は「3組限定!離島のこだわりリゾート」とか、「建物自体がオーナー手作り!カフェが営む5部屋の宿」とか、「築90年!初老のご夫婦が始めたゲストハウス」とかを泊まり歩いている私が、こんないかにも京都っぽい宿を利用するプチ贅沢について、この旅で訪問してきたゴトビキ岩・那智の滝・三輪山の「アニミズム3兄弟」がお怒りなのだろうか、チェックインが予定よりも2時間ほども遅くなってしまった。

 
 
 
 
  
  
  
 
 
  
  
 
 
  
 
   
 せっかくの料理も、提供されては胃の腑に落とし込むわんこそば状態。仕方がない。宿の方には到着を待っていただき、ご迷惑をおかけしました。どれもこれもうまかったが、とくに蒸し物・椀物がすばらしかった。それとやはり赤だしね。日本酒呑んだ後の味噌汁って、何でこんなに旨く感じるのだろうか。だれか研究して『Nature』にでも発表してくれないか。

入浴し、すぐにお出かけ。友人男子と五条駅で待ち合わせて「スペースネコ穴」へ。
 
この記事を読んで感動してしまったのだ。まったく、店というのは人の数だけあるものなのだなと。

最近はテレビにも取り上げられたそうで、週末は満杯なのだそうだが、この日は常連二人とわれわれ二人、それに店主のみであった。

 
 
豆腐はやはり良いものを使わなきゃ、と店主がおっしゃっていたが、確かに旨かった。

ゆるゆると2時間ほど過ごす。思い出に残るすばらしきクリスマスイブであった。

タクシーに乗り込み、失業・転職前に仕事上のつき合いのあった人と、この前20年ぶりに乗客として再会したとかいう運転手の話に適当に相槌しつつ、1時過ぎに宿に戻った。