また会う日まで | 川のほとりのお茶屋さん*大仙市兼松園スタッフブログ

川のほとりのお茶屋さん*大仙市兼松園スタッフブログ

はじめまして。
秋田県大仙市にあるお茶屋「兼松園」新米スタッフブログです。おいしいお茶のお話、お店のお話など微力ながら皆さんにお伝えしたいと思っております(o^^o)

皆様こんにちは。
1月も残り3日。
来週には暦の上ではもう春に。



今月末で退職しますと
先日お伝えいたしましたが
実質もう出勤はしておりません。
なので、
今日の更新をもって終わりにします。




こんなに素敵なお店なのだから
もっと世の中の皆様に周知したいと
ブログを始めて約2年←店主に許可を得て
正直なところ
ブログはお店にとっては
余計なお世話だったように思ったりしています…




今日我が家の息子受験でして。
さらには多分来週あたり
夫、異動発表。
先を見通して考えても
まだまだお金がかかり
ぶっちゃけた話、
兼松園だけの給料では
ちょっと大変になりそうで
転職は考えていました。
が、次の仕事が見つかってから退職。
自分の為にはもちろんですが
それが育てていただいた恩返し
そう思っていたのですが
息子、合格するかもわからぬのに
夫、どこの県に行くのかもわからぬのに
退職することにしました。
誤解を恐れずにいうと
決して円満な退職ではないということ。




実のところわたくし43歳。
この年になり
ADHDとわかりました。
いわゆる発達障害です。



今でこそ
発達障害やうつ病などの
精神疾患や精神障害は
珍しくなくなりましたが、
まだまだ誤解は多く
ましてや障害という言葉に
ものすごく偏見をもたれがちに思います。
事実、私の親は今もって認めていません。
なんなら、医師の中にも
大人には発達障害はないと
認めていない人もいるそうです。


どんなことでも
その立場にならないと
わからないことは多々ありますが
一見健常者となんら変わらない
その人の内に秘めた病みにいたっては
わかっているように思っていても
実際は知っているつもりなだけで
自分の持ち合わせている知識が
その人にあてはまるわけでもないのです。
その証拠に
同じADHDを持つ息子と
私の症状が酷似しているところもあれば
いくら親子とはいえ
理解出来ないことも多々あります。
なんなら、自分をわからないのは、
自分だったりして
取扱書がすべてわからずにいます。




正直幼い頃から
とても生きにくいと感じることが多く
自分の言動を怪訝に見つめるもうひとりの自分がいました。
とはいえ、生きた時代的に
それが何のせいでそうなっているのか
調べる機会もなく
こんなに大人になったのですが
ただ自分が変わっているだけなのか
色々出来ないことがあるのは不器用なのかと、自分で勝手に納得してきました。
幸い、検査の機会があり知ることができたのですが
不謹慎ながら40年近く
自分自身に対して悩んでいたので
変わっていたからじゃなかったんだと安堵しました。




俗に言う「普通」の人にも
得て不得手があるように
発達障害がおこす苦手なことや
どうしても出来ないことがあります。




私は世の中のADHDや発達障害を持つ人の
代表ではないので
あくまでも私個人の見解ですが
それゆえに家の中でなら
出来なくても迷惑がかかる話ではないことも
社会に出ればなかなかそうもいかず。
ならば、職場にカミングアウトが得策かと考えたら、それもわかりません。
相手の取り方次第では
発達障害をいいことに
私はこれが出来ないから優遇してよと
甘えていると取られるケースもあるからです。



残念ながら私もやる気に反して
仕事がこなせず
職場のお役に立てなくなりました。
自分が思っていた以上に
ご迷惑をかけていたようで
時間いっぱい頑張っていても
仕事が出来るひとには
さぼっていたのかと誤解をうけていたようです。




また、年配のお客様に
「あの人、変わっている…」と
実はご指摘もうけていたそうで
まあ、自分のしないこと
言わないことをいう人を
人は時として変わっていると言いたがりますが、
それを伺った時に
何をしたら変わっていて
何をしたら普通なのだろうか。
なので、ブログも
やるべきではなかったのではないかと考えた次第です。
変わっていると言われることに
喜びを感じる方もいるようですが
私は喜べねぇ…
開き直る気はさらさらないけれど
このご時世もっと変わってる人
たくさんいるよ?
私程度、かわいいもんだけど←開き直り


こんな話は
本当は書くべきではないかもしれません。
お世話になった職場に苦言を呈しているように思われることもあるかもしれません。




ただ、このご時世
自分の職場や学校に
精神疾患や精神障害を抱えた人がいるのが珍しくなくなってきていて
障害のある人とは
関わらないで生きたいと思っていても、
そうもいかないように思います。
障害を持つ当の本人同様
受け入れる側も対応していくのは
簡単な話ではなく
一朝一夕で解決することではないようですが、もちろん理解するも大変なこと。



でも、誰も迷惑をかけたいと思ってなんていなくて、
皆様が一生懸命生きているように
私も一生懸命生きている。
皆様が色々悩んだり苦しんだりして
今日があるように
私も悩みながら今日があるのです。




障害と名のつくものを
理解出来ないというのなら
せめて放っていてほしい。
出来ないことを責めたり
あげあしをとらないでほしい。




周りに迷惑をかけているとは露知らず
私はここでの仕事を天職と思っていて
本気でいつか継ぎたいと思っていました。
なので、このような形で
退職することになり
三時間の仕事すらこなせない自分が
本当に駄目な人間に思えて
体調を悪くするほど悩みました。
ですが、ここに勤めなければ
私は日本茶の資格を取らなかったろうし
出会うことがなかったであろう方々に
お目にかかれなかったと思います。
そして、私を育ててくれた
職場の方に本当に本当に感謝しています。




そして、自分の中にある障害に気付いて、
私は改めて自分の今後を考える機会ができ
周囲の誤解に泣いたけれど
私という人間を認めてくれて
ほめてまでくれる友人の存在に支えられて
むしろ、こんなことがなければ
気付けなかったこともあったのだと思っています。




たかだか2年たらずで
接客業を極めた気にもなっていないし
資格取得も終わったわけではないけれど
いつか小さくていいから
生きにくさを感じる人や
つらいことがあった時に
立ち寄っていただけるような
茶屋をひらきたいです。


  怖くて動けないのは他人の評価を
  気にしているからだ。
  あなたにプラスになることを
  何にもしてくれない他人の評価に
  臆病にならず
  自分に忠実に生きよう。
  うわべだけの情報や噂にながされる
  自分のない人に何を言われても気にしな    
  いことだ。
  そんな人間の言葉には
  耳を傾ける価値などないのだから

                           DAIGO








短い間でしたが
今までブログを読んで下さり
ありがとうございました。




明日もあさっても
川のほとりで。



高橋