ピエリーの目指せ!!肝っ玉かぁちゃんへの道 -2ページ目

ピエリーの目指せ!!肝っ玉かぁちゃんへの道

はじめまして、ピエリーです。
ご訪問ありがとうございます^_^
3人の女の子のかぁちゃんです。
"いいお母さん"ではなく、どんな出来事からも学び成長できる"肝っ玉かぁちゃん'を目指しています☆
どうぞ、よろしくお願いします。

我が家の7月に6歳を迎えた次女は
卯年生まれだからなのか(笑)
常に飛び跳ねているイメージ。



元気いっぱいは有難いのですが、、、


ここ最近、
彼女に対して、めっちゃ怒ってるわたし。


怒るのにも疲れるくらい、、、。



なんやろう???


昨日も発端となったのは、、、
車を降りるときに
「待っててね」と言ってるのに関わらず


「1人で行けるし、先行ってくるー!」と
言葉より先に身体が動いてしまう、、、。


もちろん、普通の時なら
笑って許せることも
それが駐車場だったこと
他の車が動きはじめていたから
一瞬ヒヤッ!!!としたこと。


もーーーー、めっちゃ怒った!!!
そりゃー、怒りまくった!


「駐車場では、かぁちゃんと一緒に行くって
約束したやんな?」


「なんで、あかんかわかってる?」


「かぁちゃん、いつも、りおんちゃんがいるから、一緒にいないと守ってあげられへんし、
一緒に居てくれる?って言ってるやんな?」


1回言ったら、
次回は覚えてて、
その次は忘れてしまう、、、


子どもやから、そ、そ、そーなんやけど。


習慣やから、何回も何回もやって
わかるけど、、、。


もーーー、ほんまに、このヒヤッとは
ほんまに嫌!!!



「わたし、この子のこと、守れるやろか?」
って思ったし、、、


「この子を守るんやったら、
ほんまに縄で縛っておかなあかんのちゃうか?」
とも一瞬思った、、、(苦笑)




そんなことがあった夜、
次女が
わたしに温熱セラピーをしてくれた。



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決して上手じゃないけれど、、、



温熱セラピーのぬくもりと


彼女の小さな手のぬくもりと



何よりその想いに泣けてきた、、、。



あぁ、彼女のいのちを守りたくて必死になる
わたしも、



6歳を迎えてから、自分が誇らしくて、
エネルギーに溢れ、今までよりも
自分1人でやりたい!やれる!と思う彼女も、


どっちも間違ってなんてないし、
悪くない、、、


ただ、やり方を変えればいい、、、



時は刻々と過ぎ、
子どもの成長は見た目だけじゃなく
心も刻々と育ってる。



それにあわせ、かぁちゃんは
やり方、接し方を変えていけばいい。



昨日のうまくいったやり方が
今日は、もう、うまくいかないくらい
目の前のいのちの成長はすさまじい。



私たちが住んでいる
住まわせてもらっているこの地球だって
ものすごいスピードで自転しながら
他の惑星ともに太陽のまわりをまわっている。


その太陽だって、螺旋を描きながら
宇宙をものすごいスピードで動き続けている。


その宇宙に生かされ生きている
私たちのいのちも
ましてやエネルギーに溢れている
子どもたちのいのちは
成長し続けている。


太陽フレアが降り注いだ次の日、
その影響とでも思いたいくらいの
怒りは(笑)



やっぱり、大事なことを教えてくれる。
原点に戻してくれる。


「そんなに怒るくらい、
あなたがやりたいことは?」

「あなたが大切にしたいことは?」



それは、目の前のいのちを守ること。


でも、それは、縄に縛りつけるのではなく(笑)

そのいのちが本来持っている輝きを
地球のルールを覚えながら
思う存分発揮できるように
一緒に成長しあうのが


わたしのいのちのやりたいこと。



わたしにとって子育ては何より
いのちとの向き合い方を教えてくれ

生き方を教えてくれ


いのちの活かし方を教えてくれる。




育児は育自。


育んでいるようで、育まれているのはわたし。


育んでくださって、ありがとうございます。
おかげさまでございます。
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**************


☆「アトピーっ子や
アレルギーっ子のママのお話会」

10/19 (木)
大阪守口市 「ことは助産院さん」で開催✨





☆京都桂のママのパワースポット
「ママいろはうす」での出店は

ママのこころの応援セラピー
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10/26(木)10:00〜12:00✨


「迷惑をかけていけない!」

「子どものしたことは
親の責任!」


その信念は


小学生のころの私の行動が


「あんたの子どもおかしいんじゃないの!?
親としてどうなってるの!?」
というご近所トラブルになった。



今思えば、子どものしたことだから
話し合えば、何ともなかったことなんだ。


けれど、うちの母も精神障害で
お相手も精神障害の持ち主だったのだから
そうゆうやりとりになってしまった。


今思えば、誰も悪くない。


たとえそのやりとりが
普通の方法ではなかったとしても

私はそれを見て、
そういうものだと強く思ってしまったんだ。



そして、精神障害を持っていた
私の母がしたことであっても


母が何度も何度も起こすトラブルは


あんたの親どうなってるの!?
あんたの親なんだからどうにかしなさいよ!?
と言われ続けてきた。



私は小学生であっても
中学生であっても
高校生であっても


ただ、ひたらすらお相手に
謝るしかなかった。



私の中で、
自分の子が迷惑をかけることの恐れ
そして、たとえ子どものしたことでも
自分の子となればよけい許せず
子どもの年齢も関係なく
異様なくらい
「修整しないと!」と反応するのは
その影響なのかもしれない。


そして、
反対の立場になったとき
子どものしたことより
相手の親の態度にとても反応する


それは、誰に彼でもなく
私からみて
親としての責任を放棄しているように
見える人に


「親としての責任はどうなってる!?」と
強く反応する。


責められきた私は
攻めることが知らず知らずのうちに
しみこんでいる。


けれど、それが人として本来の姿でもなく
本当にとるべき行動でもないことも
わかっているから


自分と自分が葛藤する



人として美しく生きることを
拒否したくなる


けれど、それはなぜ、そんなにも
抵抗するのだろう?


それは、過去の責めた大人への
仕返しなんだ



小さな頃の自分の失敗を
許してくれなかった大人


そして、母のしたことを
何の責任もない子どもだった私のことを
大好きな母のことを責め立てた大人への
復讐なんだ



私が私にできることはなんなんだろう?



それは、小さなころの自分に
「よく頑張ったね」
「理不尽だったね」
「悲しかったね」
「辛かったね」
「嫌やったなぁ」
「腹立ったな!」って

私が私に寄り添うことなんだ。



あなたが悪かったんじゃない。
あなたは何も知らなかっただけなんだよね。
それを教えてくれる大人がいれば
あなたはできたよね?

知らないことがあることは
ダメなことじゃない。


知らないことを責めずに
教えてくれる人もいる。


大丈夫、知らないことを知ろうとする謙虚さと
そして、いつでも前に進もうとするいのちの歩みがあれば大丈夫。


そして、お母さんのやったことと
あなたは何も関係がなかったこと。


相手の大人も感情が高ぶっていただけで
本来の姿ではなかったのかもしれないこと。


33歳になってから、


起こる出来事のなかで

自分の至らぬことも
「知らないことを知らないっていうのは
悪いことじゃないんだよ。」と
愛を持って教えていただいたり


我が子のしていることも
子どもの成長だと言って
あたたかな目で見守ってくださり
その子のいのちが本来あれるよう
育みあってくださる
愛ある人たちが側にいてくださる。


過去を生きるのはもうやめよう。


今、目の前にある
心がえぐられる出来事も


本当は違う景色がひろがることを
いのちを持って教えてくださっているんだ。




そして、私が同じ連鎖を繰り返さないこと。


私が私の世代で断ち切り
子どもたちに
本来の人としての在り方を繋げること。


胎児のころからあるがままの姿で生き

私にどう生きるかを教えてくれる
子どもたちは


トラブルという形で
私のいのちの修整をしてくださっているんですね。


おかげさまでございます。
ありがとうございます。

最近、小学3年生になった長女との関係に
悩んでいた。


まぁ、いっつものことだけど(笑)


反抗期に入ったのか
ぶつかる毎日。


どうしたもんかと悶々としていた。



そんなとき

5/28に参加させていただいた
親子ミュージカル
大阪おとだまことだま団として


演出家の田山先生が手がけられてきた
神戸の震災復興支援のチャリティーコンサートの一部に出演させていただけることになった。


その練習に向かう
日曜日の昼下がり
乗りこんだ電車の車内。



たまたま目の前に座った親子。


2歳くらいの女の子と
お父さん。


手には
缶の口が空いてるチューハイのロング缶。



なんだか周りにおびえながら
チューハイの缶を
お守りのように握りしめ



眠そうな娘ちゃんを
寝かしつけている。





涙があふれてきた。





真昼間の車内
子ども連れで
缶チューハイ片手って
社会から非難される姿。



けれど、そのお父さんは
愛おしそうに
娘ちゃんの隣に座り
片手で抱き寄せ
肩をたたきなながら
寝かしつけていた。



娘ちゃんが寝たあと
缶チューハイのロング缶を
ゴクリと、、、
ひとくち。


周りの目を気にしながら
必死で頑張ってる様子に
私には見えた。



私の中の小さな子どもが泣いた。


「お母さんを責めないで」

「お母さんを怒らないで」


私の母は弱かった。


昼夜逆転生活に
鎮痛剤
睡眠薬
咳止めシロップが手放せなかった。


薬が買えないときは
アルコールを飲み
急性アルコール中毒で
救急車で運ばれることもあった。



トラブルが絶えなかった。



そんな母は非難されることばかりだった。


小さな私は
そんな母を見て
私だけしかお母さんの味方はいない。


私がお母さんを守らなくてわ
そう思っていた。


でも、高校生にあがる頃
母のやっていることの矛盾を
見すごさなくなりはじめ
意見をした。


それではいけないと!




それから、私はずっと母を責めて続けていた。



頑張れない母を。
ちゃんとできない母を。





目の前の缶チューハイの缶を持った
お父さんを見て、
やっとわかったんだ。



私は母が大好きだったからこそ
弱さを超えられない母が許せなかった。


弱い母が許さなかった。
自分の弱さが許せなかった。


そして、だれより
娘の弱さが許せなかった。



でもね、目の前の親子を見たとき
抱きしめたんだ。


母の弱さを。





目の前のお父さんが
缶チューハイを飲みながらでも
頑張ってるように



母も頑張っていたんだ。


母はしんどいなか
どうしていいかわからない中
必死で私を愛してくれていたんだね。




目の前の親子の幸せを
ただ祈った。

目の前の親子に
どうか手助けがありますように。


子どもを守らなくてはいけない。


でもね、守られる子どもの私は
思ってたんだね。


どうかお母さんを助けて


って、、、。



どうかダメな母をいじめないで、、、。


って。




それと同時に
私はそんな母を見ていたから
周りから非難されない子に
育てなくてわ!って強く思ったんだ。



でも、違った。


娘は娘のままでいい。


もちろん、課題はあるけれど


彼女は私のための人生を歩くために
産まれてきたわけではないんだね。



あなたはあなたの人生を歩むために
この地球に産まれてくることを
決めたんだよね。



あなたがお腹にいるときに
私はあなたに繰り返し
声をかけた。



「どうか
あなたは私が何と言おうとも
周りが何と言おうとも
あなたはあなたの人生を歩くんだよ。」




それは、お腹にいるとき
あなたからのメッセージだったのかもしれないね。




「私は私の人生。


どうか、私のいのちの邪魔をしないでね」
って。


あなたを授かる前に
色々なものを通して
たくさん見たよ。



子どものまわりの大人は
いのちの邪魔をしないことだって。






当たり前のこと。



だけれど、私にとっては


あなたのいのちを信頼し
見守るということが


どれだけ大変なことなのか
わかっていたのかもしれない。



それを覚悟で私の元を選んでくれたとしたら
あなたは本当に勇氣のある持ち主だね。





あなたは決して私を苦しめるために
目の前の出来事を起こすのではないね。



こうやって
私とお母さんが紡いできた
勘違いを紐解いてくれる
きっかけを与えてくれくれたんだね。


いつもあなたはいのちいっぱい
私にいのちを教えてくれて
ありがとう。


お母さん
薬を飲みながら
私を一生懸命育ててくれて
ありがとう。



そうだったね、お母さん。


私はあなたから学んだ。


子ども育むとき


子どものいのちを守ることと同時に

その大切ないのちを育む
お母さんのサポートが必要なんだって。


だから私は
自分の苦しさを通して
自分を取り戻す方法を学んできたんだね。



いのちが喜ぶほうに
生きることを。


生きていることは
大変なこともいっぱいあるけど
実は楽しいことなんだって。


産まれてきたことは
喜びなんだって。



それを導いてくれたのは
どんな時でも子どもたちだったんだね。



もしかして、
私たちは約束してきたのかもしれないね。



この地球に産まれてきたことを
楽しむこと


そして、楽しめるよう
親子のサポートをするのを
お母さん、私、娘と
三世代で約束してきたのかもしれない。



すべてに意味があり
すべてに意味がないとしたら


そこに意味をつける自由を
与えられているとしたら



私はこれを選ぶよ。



私が体験してきた
すべての悲しみも
いのちの約束のためだとしたら
私は私のいのちを楽しみ
そしてこの地球で出逢う
70億分の1とのいのちの出逢いを
楽しむよ。



過去も今も
胸をえぐられるような体験も


その先にある光に出逢うための
脚本なのかもしれない。



そうだね、この人生という舞台
私に与えられた役割を
この毎日という舞台で
思いっきり


泣いたり
笑ったり
怒ったり
苦しんだり


楽しめばいいんだね。



たまたま目の前に出逢った親子。


出逢ってくださり、ありがとうございます。


私のいのちを鼓舞してくださり
ありがとうございます。


どうか、幸せでありますように。



私は悩み苦しみながら
やすらぎを見つける
肝っ玉かぁちゃんセラピストとして
生きていきます!


あなた達、親子が思い出させてくれたことを
次の人に繋いでいきますね。



愛感謝☆ピエリー

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