みえちゃんの成長に、嬉し涙でございます。

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セルフイメージを書きかえるマジシャンのっちゃんです。
http://ameblo.jp/colorful1968/entry-11262816863.html

さっき静岡県に竜巻注意報が出て、ざーっと雨が降って、
でも、今は上がって晴れている沼津です
不思議な天気

今日こそはわたしが考えている「セルフイメージを書きかえる」という事について書きたいと思います


セルフイメージを書きかえるという事については、まずわたしが今までの人生でとてもとてもセルフイメージが低かったことをわかっていただきく必要があると思うのです。
ドン引きするかもしれませんが、まずはわたしの人生のざっくりした流れを書いてみますね。


5歳で両親が離婚。
元々両親は別々に東京に出稼ぎに行っていました。
それまで父方の秋田の祖母に育てられていたわたしは、離婚によって今度は母方の新潟の祖父母に育てられることになりました。

8歳で母親に引き取られて静岡に来て、要領が悪い転校生だったために中学卒業までいじめられ続けました。特に男子から人格を否定されることを言われ続け、男性不信になりました。
そして、同級生から逃げるために同じ中学から進学する子が少ない女子高に進学。
高校1年で母が再婚し、妹が生まれました。

再婚家庭で居場所を見失ってうつの診断。
しかし、両親は世間体を考えてなかったことにして「お前はどこも悪くない」と言い続けました。
それで、本当は大学に進学して学校の先生になるのが夢でしたが、親に学費を出してもらうことがどうしても嫌だったために、就職。同時に夜間短大に入学しました。

そして、21歳で旦那さんと結婚。
22歳で長女、25歳で長男、27歳で次男を出産。
実の両親がそろった家庭で育ったことがなく、思いつめやすいうつ気質。
子どもが二人の時はまだ良かったんですが、三人になって手に余るような生活になって完全に自分の精神の許容範囲を超えてしまい、うつ状態になりました。

子どもの時から「のろま」と言われ、人とテンポが違う子でした。
その違和感は昨年発達障害AHDHの診断を受けるまで理由がわからないまま生きづらさを感じていました。

頭の中では、超完璧主義。
でも、なんにでも手を出したくなる癖に、何一つ満足に終わらせられない。

自分が親と触れ合って分かり合える関係を夢見ていても実現できなかったので、自分は「いい母親にならなくては!」と思うのに、実際していることは、自分が親にされて嫌だった事ばかり。


長いこと根暗で暗黒な精神状態でした


転機は、限界を感じていた27歳の時でした。
当時参加していた全国規模のママネットワークの会報に鈴木美穂さんのインタビューが掲載されていました。
「STEP勇気づけセミナーリーダー」の美穂さん
インタビューでの飾らない言葉、勢い。
ボロボロの精神状態のわたしは、この人に会ってみたいこの人に会ったら何かが変わる気がすると直観で思ったのです(笑)

それまで、わがままを言って遠くに出かけるという事は一切ありませんでした。
友達の結婚式も、旦那さんの両親から「結婚したら友達なんて要らない」と言われいけませんでした
でも、思い切って旦那さんに東京(美穂さんの主催のパーティがありました)に行きたいとお願いをしたらOKをお貰えました。

そして、会って勇気を出してお話をして刺激をもらって、次にはまた旦那さんにお伺いを立てて横浜の土日の催眠療法(ヒプノセラピー)のワークショップに参加したのでした。

そこで受けた催眠療法の中でも一番インパクトがあったのが「インナーチャイルドの癒し」のワークでした。
わたしはそれまで、親や祖父母や先生や夫や舅姑、近所の目ばかりを気にしていました。
人にどう思われるかがすべてでした。
相手の要求に応えられない自分は価値がない人間、本気でそう思っていたんです

しかし、美穂さんに出会って、「自分の人生は自分で決められる」「あなたは愛される価値がある」という言葉を知り、天地が引っくり返るような衝撃を受けましたし、同時に肩の力が抜けました。

「わたしの人生はわたしのモノだったんだ」

この価値観の変換が少しずつわたしの人生を好転させるきっかけになったのです。


また次に続きますよ