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 人生は強く,たのしく、しあわせに☆ ネオヒルズというよりも,ネオ日本人。

1度きり、宇宙のチリとしての人生を
どうしたらもっと 楽しく出来るのか。

”緊張と緩和” のバランスが好き。

”マクロとミクロ” のバランスが好き。

強く優しい個人が 和をもって尊し ♬


ー 今日に感謝,明日に希望 ー

    そして今、行動

FB友達の話。平和に感謝。 **** うちの母の話しです。母は、8月6日は安古市に疎開していたそうです。朝、大きなキノコ雲が上がった。非常に遠くから眺めたはずなのに、後で気付くと頬に軽い火傷みたいなものが出来てたそうです。 そのうちドンドン大怪我をした人が運ばれ始め、これは大変に違いないと思ったそうです。夕方お父さんが大八車を引っ張ってやってきて「おかあさんが大変だ」と言う。 「どうじゃった」と聞くと「死体が一杯でさけられんから、いっぱい轢いてやってきた」言う。「死んでいると思ったら、生きていて「ウぅ」とか言って動くから『ごめん、生きとった』と思って『ごめん、ごめん』とつぶやきながら、やってきた」それを聞いて怖くなり、「帰りたくない。」と泣いた。 家は、港町の宇品に有り、川のおかげで延焼をまぬがれたのです。 おかあさんは、千田町で、建物疎開中に民家の屋根の上で正面から被爆し、おばけのようになって、家に帰ったら動けなくなった。家に着いた時「私よ。私」と言わないとわからなかったらしい。 垂れ下がった皮膚を切り取り、牛乳瓶にいっぱい火傷の薬をもらって来て、付けようとしたら「また、爆弾が来るかもしれんから、とっておきなさい」と言う。「何言うとるん」と叱って泣きながら塗った事。 正面をやけどしたので、寝返りが打てず、すぐ、床ずれができた事。 数日後に亡くなった事。 宇品小学校にはお化けのような人がいっぱい来て「水をください」というので、あげたらみんな死んだ事。死体を山にしてそこで焼いた事。臭かったこと。焼いていると次々と頭が落ちて来る事。火箸でおそるおそるつまんでいると小学校の先生が「こうやるんじゃ」と手で掴んで上に乗せた事。おとうさんがだるいだるいと言い始めて、翌年無くなった事。 広島に住む人の間では、こういう話しは珍しい話しではないんです。思い出すのも嫌だし、自慢する話でもない。だから、誰も話さないだけ。「大変じゃったんよ~」と言うだけ。 *********** 広島に居た18歳まで。8月6日は日本中が平和を祈って悲しみに包まれる日だと、てっきり思っていた。ところが広島以外で迎える8月6日のなんと普通な日であることか。 暑い日差しの中。今日がゴミ収集の日の人は、そのゴミの山がすべて人間だったと想像してみていただきたいのです。なんとシュールな光景でしょう。 やっぱり、戦争も原爆も良いはずがない。人の親なら戦争だけはいけないと、自分の子供に伝えて欲しい。そして、あらゆる公共団体が「戦争をしない、させない」ことが最大、最後の福祉だと思ってほしい。 #ヒロシマナガサキ #原爆 #原爆投下 #皮膚焦げた #体焼ける #平和に過ごせますように #普通が一番 #山積みの #死体の山 #死体 #平和に感謝 #平和を願う#永遠平和のために

Miho Oshiroさん(@mihooshiro)が投稿した写真 -