(以前、書いていたものを、掲載させていただきます。)

ポニョを観た。あとに、ポスターを見た。

あどけないポニョの見上げたかお。その上にヘタクソな文字で、「生まれてきてよかった。」って書いてある。これは母と子の物語なのだそうだ。


引きこもり、不安、ストレス、神経症。自立しあえない親子の関係。母子というところに焦点を当ててみると、自立しあえない母と子の関係から、人間に歪みが出てきている一面もあるような気がする。


親、特に母親は、どうしても子供のことを"自分が生み出した自分の作品"と思ってしまうところがある。自分の胎内から血を分け肉を分け出てきたものだから仕方がない。一方、子供のほうはと言えば、生まれる前から完全に独立した意識と知能を持っていて、ここですでに、その認識にズレが生じてしまってる。


子供が自分が思い描く理想像と違っていると不満をぶつける母親を怒らせないために、親の言う事に従っている自分。自分は親の言うことを聞いてやってきたんだという、親に対する傲慢さ。そのために思い通りの人生を歩めなかったという自分に対する甘え、自己嫌悪感、悶々とした気持ち。

少し前の、秋葉原の事件を起こした加害者の顔が、ふと頭をよぎった。



ポニョに出てくるソウスケのお母さんは素敵だった。あんなにちいさなソウスケを、立派な一人格として認め、海のようなおおらかな愛で包みながら、ソウスケの背中をポンっと押した。


"親子間の信頼関係"を築ける母親は、かっこいいなぁと思う。子供を認め、信頼していないと手放せない。失敗したって、それで大丈夫って見守っていられる母親。


どんな過ちを犯してしまったとしても、「この人だけは自分を護ってくれる。」という確信を持って大人になれた人間。そういう人は、何があっても絶対に大丈夫だと思う。成績だとか、目先の何を差し置いたとしても、それだけは、人間が生きていく上で体得すべき、最も大切なことだと思う。


そしてその確信を持たせられるのは、母親以外にいないと思う。のです。(父親は、認めるというよりもむしろ、自分自身の信念=テーマ=に基づいて、自分に誠実に生きている、その姿を結果的に見せられたら、父親としてすごく素敵なんじゃないかと思います。)


そして何となく、わたしが歌っているのは、こういうところなのかもしれないなぁと思った。


母親なんかにはなれないけれど、少なくともこの瞬間だけは、あなたもあたしも必要な存在で、少なくともこの瞬間は、どちらにも生きてる価値があるんだってことを、ライブの場では感じている、伝えている、そんなふうに思いました。




この映画で一番好きなセリフ。
ポニョ「ソウスケすきー!」
ソウスケ「ポニョすきー!」
こういうシンプルにまっすぐな気持ちで、その瞬間好きなひとには好きー!って軽く言える人でいたい。死ぬまで。そのほうが、ハッピーな時間が待っていそうだから。たとえ相手が大して自分のこと想ってないとしても、かるく好きー!って言われてハッピーな気分にならない人なんていないんじゃない?って思うし。