NHK英雄たちの選択・天下人を生んだ一族/三河松平家の実像の感想です。今回のオハナシは江戸幕府を開いた徳川家康の下地はご先祖たちにあったというもの。家康が一代でイキナリ天下を取ったのではなく、歴代の松平家当主たちがその下地を作っていたので家康が飛躍できたというわけです。
ピックアップはこのご先祖たち!
家康は松平家の九代目当主。番組で取り上げられたのは以下の三人です。
【初代・松平親氏】
遊行の僧から在原氏のもとに入婿し還俗して武士になった人物。連歌や治世に才能があり武勇もOK。
【三代・信光】
親氏の息子。山間部の松平郷から岡崎の平野に進出した当主。子孫を残しまくって分家が増えた。
【七代・清康】
家康の祖父。13歳で家督を継ぎ三河をほぼ統一。尾張にまで進出。
(1)親氏の顔は平均値だった
松平氏発祥の地である豊田市松平郷には、松平氏初代・親氏の銅像があります。これは親氏が亡くなって600年目の節目である平成五年に建立されたものです。
でもよく見るとなんか西洋人っぽいですよね?ちなみにこの顔は豊田市松平地区の人たちの顔写真を何枚も撮り、将軍家、松平家の顔写真も何枚も撮って平均値を出して作ったものだとか。
(2)普通にあった系図買い
松平家は源氏を祖とする得川氏の子孫というのが一般的な解釈です。しかし作家の安部龍太郎氏によると、江戸時代やそれ以前、自分の家を正当化するために系図を作る系図買いということもよく行われていたとか。
そういえば豊臣秀吉も父親は公家で母親は女官という系図を作りました。まあ、当時からあまり信用されてはいなかったみたいですけれど。
(3)三河武士の忠義は家康のラベリング?
脳科学者の中野信子氏の意見は興味深いものでした。それによると家康の時代に三河武士は忠義者というイメージが強かったのですが、祖父や父は家臣に暗殺されています。だからこそ家康が家臣や周囲に『三河武士は忠義者の集まりなんだよ!』と喧伝していたのではないか?『だから裏切らないんだよ!』となんども刷り込んでいたのではないか?とのこと。
確かに人間は何度も同じことをいわれると、実際にそうなんだと思い込んでしまいます。これをラベリングといいます。家康も家臣に逆らわれたらイヤなので、忠義心が強いものが三河武士なんだと喧伝していたのではという指摘が面白かったです。
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