なにもいらないって思うときは大体自暴自棄で
だけどそんな風に
言葉にできたことは幸せだったんだ
今はなんとも云えなくて
埋もれるだけの毎日
休みの日は天気に
左右されて
夕方頃になって
憂いを帯びて
なにもいらないと
本気で思えば
すべてを捨てられる?
ほんとはこの手にあるものに愛着があるから
これ以上いらないと
そう思っているのに
もっと自分を知りたくて
記してた想いも
それを読み返したくなる夜も
絶対にここにあるはずだから
この手を拡げれば
手離すような躊躇いや不安感じるけど
放つ光があって
迎える大きな愛が
あるような気もする
単純だけどいつも両極端なのは
それが人間らしい気がするから
この両手の意味が
またわかりかけたら
懐かしさに寂しさをプラスして
笑ってしまうんだろう