切り込み隊長出陣。思考癖への挑戦状
最近感じたことを少しだけ。
普段から自分の感覚ってすごく大切だと思っているのですが、感情というか、感覚的なこと。個性だし、失いたくないものですしアイディンティーは常に大切にしたいと感じています。
がしかし、時にその価値観や感覚に囚われすぎて、意味もなく傷ついてしまったり、変に誤解をしてしまったり、屈折して考えてしまうことがわたしにはあるような気がしたんです。
例えば一例ですが、
上司に脅迫めいたことを言われたとします。
そもそも脅迫めいたと言いましたが、この時点でも自分が勝手に変換しているのであやしいです。さらに、なぜそんな言葉を言われる必要がある?あれが原因じゃない??あ、きっとそれに違いない。というように、言葉にさらなる意味を持たせたがる気がしたんです。
本当は相手もぽっと出た言葉であり、そこに深い意味がない可能性もあると思うのです。日常茶飯事で脅迫めいた言葉を使う人だったら??
どのような言葉を発するのか
元々感謝を常にして、相手に良い言葉を伝えようとする方もいれば、ひねくれて相手を悪く言うような言い方をしてしまう方もいます。
そこの言葉に意味を持たせたがる思考癖が、、意味を持たせるだけならまだしも、
さらに厄介なのは過去の自分の行いまで自分で責めてしまうことです。全く責める必要はありません。その変換作業を疑うことが大切だとおもいはじめました。
その捉え方は、自分の自由であるからこそ、自由に変換できると思いたい。
思考癖に切り込みをいれたい。切り込み隊長をやってみたい。
脳が行ってることに、あらがうことは、、可能だろうか。。
きっと、できる。そう思います。
謎ですが、
切り込み隊長出陣させます!
チワワワン!