自己犠牲より自己受容①の続きです〜




自分が満たされていなければ
他の人に愛を注ぐことはできません。





自己犠牲の裏側に隠れているもの、、


人から感謝されたい。
尊敬されたい。
褒められたい。
良く思われたい。
認められたい。


そんな気持ちがあるかもしれません。





これは、すべて自己受容の低さからくるものです。






空っぽの器を
他者の評価で満たそうとしているに過ぎないのです。





でも、結局のところ、
自分は自分自身で満たすことしかできません。




他の何かで埋めることはできないのです。




美味しいものを食べたから、満たされる?

欲しかったバッグを買ったから、満たされる?

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上司に褒められたから、満たされる?

「綺麗だね」って言われたから、満たされる?

出世したから、満たされる?

お金があるから、満たされる?


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確かに その瞬間は、
満たされた気分にはなるかもしれません。




でも外部からの「何か」に依存してる限り

結局は その「何か」を追い求めるしかなくなって、




今よりも もっと、もっと、
もっと、、






「何か」を追いかければ 追いかけるほど、


永遠の「不足」「満たされない状態」が続くのです。



外部から満たされることはないのです。





自分の器は、自分自身で満たすしかないのです。





じゃぁ、どうやって???




自己犠牲より 自己受容③に続きます〜