こんにちは、みゅう美郷.です。
前回に引き続き、今考えてることを綴ります。
前回のブログを読むと、なんだかずいぶん自分のことをキライなようにも見えるのですが、
それでもある面から見ると、好きな部分もあるんですよね。
(ミスドのピエールマルコリーニコラボのハートドーナツ♡)
直感が鋭いところや
芸術や美しい自然に心を動かされること(感動屋)、
大事なものにはひたすら愛情を注ぐところ、
深く深く考えて自分なりの結論を出すところ。
物事がうまく行っている時は、こういう面に光を当てて、自分で認めることができるのに
一度躓いてしまうと、好きな部分さえも反転していってしまう。。
閉ざされた氷の世界にいるような気持ちになる時と、心地よい日向にいるような気持ちになる時って本当に紙一重なのです。
氷の世界を消し去りたくて、いろいろなことをやってきました。
思い込みを解放するとか、本質を見るとか、過去に向き合うとか。。(いつか言葉にしたいなと思っています。)
そして、今私がしっくりきていることは
『自分が強度のHSPである』ということです。
HSPのことは、
ネイルサロンをしている時代に知りました。
チェックリストはほとんど当てはまったものの『自分がHSPだ』という認識よりも、『お客様は皆HSPだ!』という認識の方が強かったのを覚えています。
サロンに通ってくださるお客様には、うまく言葉にはできないけれど、共通項がありました。
肩書き?
年代?
趣味?
好みのテイスト?
世界観?
そういった外的共通項はないのに、『お客様かどうかは、見ればわかる』という確信にも似た感覚がありました。
そして、HSPの概念を見たときに、とてもしっくり来たのです。
あぁ、共通項はこれだ!と。
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以前、自分自身がHSPだということにフォーカスしていなかったのは、生活の中でうまくいかない事とHSPが結びつかなかったからです。
そして反対に、今「HSPであること」がしっくり来ているのは、子どもを産んでからより濃く感じるようになった「難しさ」がHSPの視点からみると、当てはまるからなんです。
先にあげた、自分の好きな点はまさにHSPの特徴です。
HSPである自分が好きで、
HSPであるが故の難しさを感じている。
『皆ができることができない自分』を責める自分がいましたが、それはそのはず。
HSPは人口の20%なのだから、一般的な『皆』はHSPではない人のこと。違って当然です。
それまでは『なにかが悪い』ことがあってできない、だからその原因を突き止めて解決しなくちゃ!!という思いがベースにあっりましたが、『その原因が自分の性質』だったということがよくわかりました。
「性質」なのだから、直すものではないんですよね。
HSPの研究はまだ日が浅いので解明されていないことも多いのですが、それでもきちんと知り、自分の姿を見直すことで、
良くも悪くも、自分の事をいろいろな角度から受け入れることができるようになってきました。
子どもが生まれてから、生活が一変し、
兄弟親子関係をやり直す期間がしばらく来ていましたが、それが自分自身に届いてきたというかんじです。
次回またHSPのことについて書きます。