鬼怒川決壊から、従来の考え方を抜本的に転換しよう | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 今回の鬼怒川、渋井川などの河川の氾濫により、甚大な被害が生まれたのは、皆様もよくご存知のところです。被災された方々には、謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 すでに多くの方が指摘されているように、今回の被災については人災の要素も強いという側面を、私たちは軽視すべきではないでしょう。公共事業は土建屋ばかりを儲けさせるだけで無駄だという「公共事業不要論」が小泉政権期あたりから特に強まり、公共事業費を削減すればするほど正しいと言いたげな風潮が世の中を蔓延しました。「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げた民主党が政権を取り、この路線をさらに強化していったことは、まだ記憶に新しいところでもあります。

 ところで、気象庁のウェブページで、奥日光における「月最大24時間降水量」のランキングを調べましたら、今回の降水量はここ35年間で第9位に相当し、この程度の雨が栃木県で降る確率は案外と高いということがわかりました。今回より降水量が多いのは8回(1981年、1982年(2回)、1990年、1991年、2001年、2002年、2007年)ありました。確かに線状降水帯にあたった地域では50年に1度の降雨だったと言えるところ(栃木県栃木市、茨城県古河市など)もありますが、奥日光の降水量データで見る限りは、4年に1回レベルの降水量だったともいえるわけです。

 実際国土交通省でも鬼怒川や渋井川の危険性について十分に承知をしており、今回の決壊地点は「10年に1回」のレベルの大雨で危険な箇所として認識をしていたようです。しかしながら公共事業費がどんどんと削られる中で、こうした危険河川の整備も遅れがちになっています。民主党政権最後の平成24年には治水関係の事業費がピーク時だった平成9年から66%以上削減されました。民主党がスーパー堤防の事業仕分けを行ったことと今回の鬼怒川の堤防決壊を結びつける議論に対しては、それは無関係だと逃げを打っていますが、形式論理としては確かにそんな見方もできなくはないものの、「コンクリートから人へ」に基づいて治水事業についても進展を遅らせた責任は大きいといわざるをえないでしょう。安倍政権の誕生後はこのボトムから見ればそれなりの増額はされてきたとはいえるものの、ピーク時から見ればなお62%以上の削減にとどまっています。

 国土交通省では、100年に1度程度の雨では川の水位が堤防を超えないようにしようという河川整備計画が策定されていますが、計画の進捗状況はまだ計画の1/4程度に留まっており、なかなか進捗していません。こうした河川整備計画がもっと進捗していたら、今回の水害は防げた可能性は高いでしょう。実際、こうした計画に基づいて整備を進めていた鬼怒川の下流域では、川幅を広げ、堤防の高さを嵩上げして付け替えていく強化策が採用され、被災を免れました。これがさらに上流にまで進んでいれば今回の堤防の決壊を防げたとの見方がさほど現実離れしているとは思えません。

 もちろん、それでも堤防は決壊したかもしれません。そしてそのようになった場合を想定した防災計画を策定する必要もあるのではないかと、私は思います。例えば、堤防から300メートルほどまでの地帯は居住対象外の区域として、田畑はあってもよいが、人間の居住は避けるようにするのはどうかと思います。そして、人が居住する区域とその外部の間にもう一段の堤防を用意し、仮に河川横の堤防が決壊しても、人間の居住区域には直接的な被害が及ばないようにするといった工夫がなされてもよいのではないかと思います。

 こうした整備を行う上で問題になるのは、私有財産権の問題でしょう。公的権力が私有財産に制限を加えることに関してあまりに敏感な反応を示すようになった現代においては、実に困難な事業と言わざるをえませんが、「民」が自由に行動できるようにすればするほどよく、「公」はなるべく「民」に干渉しないほうがよいとの見方のおかしさを浮き彫りにしたのも今回の事件だったともいえます。自然堤防として機能していた民有地を、ソーラーパネルの事業者がその事業運営のために切り崩していた事例が今回の災害によって明らかになりましたが、これなどは「民」に自由にやらせておけば常に良い結果になるとは到底言えない事例だったといえるでしょう。

 長年にわたる公共事業叩きに対する反省を私たちは行うべきです。また何でも「民」に自由に任せたほうがうまくいくという考えに疑問符をつけ、時には公益性に基づいて私権に制限を加えることは正当化されるという当たり前のことを思い出す必要もあるのではないでしょうか。

 隣接する市町村まで含めての避難計画を策定することや、事前に住民がハザードマップで危険地域と避難先について確認しておくことの重要性も浮き彫りになったかと思います。

 今回の被災者の方々の犠牲と苦労を無駄にしないためにも、従来の防災の考えを大きく転換した議論を展開していくべきだと私は考えます。


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