みんとのブログにご訪問ありがとうございます。



昨年の節分に書いた自分のブログを読んでみた。あの時の私は何を思い何を考えていたのだろうかと振り返ってみた。今もあの時の気持ちや考えは変わらないです。あの時の気持ちは、考えは…良かったら読んでみてくださいニコニコ


今日は節分。

2月3日ではなく今年は2月2日なんですね。




2015年に集団ストーカー犯罪を認識して6回目の節分に思う。


「鬼は外、福は内。」


鬼にも色々ある。
「疑心暗鬼」の心…これも鬼の一つだと思う。


雪の結晶雪の結晶雪の結晶


集団ストーカー犯罪には心理犯罪の側面があり、この疑心暗鬼の心をとても上手く使っています。初期の頃、被害者に対して嫌がらせをたくさん行い、あらゆる人を加害者加担者だと思わせます。

そんな嫌がらせは世の中の人が日頃何気なくしている行為を使っている。だからこそ、一般の方から見たら被害妄想だの、精神疾患だと誤解を受けてしまい、この犯罪を理解してもらったり証明するのが大変難しいのです。

悲しいことに、そんな嫌がらせをたくさん受けていくと共に「疑心暗鬼」の心が被害者の心の中に芽生え、どんどん大きく作られていくのです。

「◯◯の行為をしたから加担者だ。」

でも、ちょっと待てよ‼️

そもそも◯◯の行為は世間の方達が日頃している行為。つまり加担者がわざと被害者にしている場合と全く何も犯罪に関係無い人がしている場合の両方の可能性があるよね。

でも大きくなった疑心暗鬼の心は後者である犯罪に関係ない人までも疑ってしまう様にさせてしまうのです。また後者が存在することも忘れさせてしまうのです。それが犯罪のトリック的なところでもあります。

こんなことを思う私自身も被害認識した頃は家族でさえも一瞬疑ってしまったことがあります。たくさんの受けた嫌がらせから五感が敏感になり、音の嫌がらせに悩んでいる時に例えば家族の扉を閉める音がとても大きく感じ、まさか?と思ったり。(もちろん親族までも加担側に巻き込んでしまうケースもあります。)

他にも仕事のお客様を疑ったり心の失敗をしました。嫌がらせだと早急に自分の中で悪い結論を出してしまい振り返ってみると違ったのではないかと何年か経った後から思ったこともあります。今だって心の失敗をしてしまっていることだってあるかもしれないと思うのです。
 
集団ストーカー犯罪はこの疑心暗鬼の心を被害者に芽生えさせ、煽り立て…家族、友人、被害者間、社会のあらゆる人達との繋がりを壊していく。人の善意までも深読みして悪意として受けとめてしまうことだってある。加害側が仕掛けて直接手を加えなくても被害者自ら、あらゆる繋がりをきっていく。加害者側を大きく演出し、全てを悪だと思わせる。また、いつの間にかネガティブな情報ばかりを探し求め簡単に信じてしまう、判断してしまう。

だいぶ冷静になれた現在は大変厄介なものを加害側は仕掛けてくれたなぁと思います。疑心暗鬼の心が強くなればなるほど、言葉は悪いですがその心を餌にしてくる加害者がネガティブなことをどんどんやってくる様に感じられます。

一方で人は誰にも疑心暗鬼の心はあります。その心は悪いことばかりでもありません。それは言葉を変えれば自らの防衛本能であり、リスク管理でもあるから。

なので、いつも何かが起こった時、ちょっと待てよ‼️と両方の可能性を考えてみます。簡単に判断もしません。

本当に私は失う必要がないものまで失おうとしていないかい?

と、その様に自分に問いかけます。

ずっとこの犯罪の被害を受け心理的要素と向き合っていく中で、一般の感覚を忘れず、あるいは思い出していくことで偏った疑心暗鬼の感覚に陥らないのではないかと思ってきました。また、たくさんの心温かい人に出会うことによって、素直に受け入れることによって溶けていくものだとも感じました。

テクノロジーand勉強会の代表であるmmsさんがこの心理的な部分についてよくツイートをして下さっています。
mmsさんのTwitter

 

心理的な部分に共感することが多いです。今までにたくさんの被害者さんの相談を受けて、そのたくさんの被害者さんから得た情報からの見解です。そこには被害で失った生活を取り戻すための心の持ち方、在り方が書かれています。被害軽減への一つのヒントでもあります。

私もかなり被害軽減し生活を一つ一つ取り戻してきておりますが、この様な効果には自分自身の心の持ち方、在り方もかなり影響していると思います。

(もちろん、この犯罪には心理的な部分だけではなく他にも色々な側面や被害があるので、その部分については別途考え対処しています。)

mmsさんの見解や私の話だけではなく、最近被害軽減をした方のお話を聞く機会が少しずつ増えてきていますが、そんな方々も同じ様なことを仰います。

被害でどうしようもなく辛い中で、一般の感覚を思い出す、忘れないことは大変なことだし、中々その様にしていきたくても出来なかったり…様々な心の葛藤があると思いますが…

淡々と活動し、でも加害側の思う壺に嵌まらない様に、一般の方々との感覚の溝を埋めたり、たくさんの方々から引き続きご協力が得られるために、そして自ら大事なもの、味方を失ってしまわない様に…自戒を込めて、また今年の節分に思うことを書きました。

「鬼は外、福は内。」

来年の節分はもっともっと自分の本来の生活が取り戻せたらいいな犯罪が解決する日が早く来るといいなおねがい

明日も被害に負けずに頑張っていきましょうニコニコ


みんと