少し心が苦しいので書きます。長々と。
私の若い友人が、今苦しみの渦中にいます。20代後半の彼女。年は離れていても看護学校で苦楽を共にした大切な友人です。
彼女も母ひとり娘ひとりの家庭。
裕福ではなくて団地住まい。お母さんが苦労して育てて、きちんとナースになった、お母さんにとっては自慢の娘です。
素直で心の純粋なきれいな子で、私もうちの娘っこも大好きな彼女。
そのお母さんが、先月倒れて、一時は生死の淵をさまよい、人工呼吸管理までいきましたが、今はなんとか一般病棟にうつりました。
でも病状はよくなっておらず、持病もあることから、積極的な治療はできないため、おそらく現状のまま看取りに方向になりそうな、そんな現状です。
友人は一昨年結婚して、地元を離れており、今は2週に一度くらいのペースで行き来しています。
結婚する時も、親をひとりで残していくことに最後まで悩んでいた彼女。今回も現状を受け容れるのに必死になっています。
仕事も手につかず、今は仕事を休んでおり、母親の看病に通ってきています。
お母さんは意識レベルが少し低下していて、自分のことを判断はできない状態で、医師はひとり娘の彼女に、様々な判断を迫っています。
これは避けては通れないことですが、いざとなったら蘇生するかどうかの判断ができずに、彼女は苦しんでいました。
ナースなので、医療者としての知識もあり、母親の現状認識はできていて、病院側がいざとなったら、何もしないかどうかの判断を急ぐのも理解できる。
だけど、娘としては判断ができない。
~自分が弱いこともわかってる。だけどいっぱいいっぱいで、決められない。~
彼女はそう言います。
そして私ならどうすると聞いてきました。
私なら…か。
私もひとり親家庭、母とふたりの生活で
貧乏でした。
私の母が最初に倒れたのは、私が18の時。脳梗塞でした。私はその時進学予定だったけど、そこで全ては終わりました。
当然ナースにはなってないし、10代の私は、右も左もわからず進学校に通っていて、働いたこともなくて、ましてや母親が倒れて、どうしたらよいかパニックになりました。
母は命に別状はないけど、麻痺が残り
仕事をするのは無理だとの診断。脳梗塞の影響か、母は性格も依存的になりしばらく鬱状態になっていて、以前の母ではなくなっていました。
まず私に襲ってきたのは経済的なこと。
家計は母が行っていたから、家賃の払い方も必要な費用もわからない。
母にきいてもぼーっとしていて、なにもかえってこない。
だから、ひとりで調べたの。
家の中大捜索して…。
医療保険の証書や障がい者手帳がタンスから出てきた。
その頃頼りにしていた叔母は、焼肉店が傾いていて私たちに構う余裕がなくて、ただ困ったら医療相談室へ行ってみなさいと。
それを持って医療相談室へ行った。
高額になる入院費について相談して、なんとか貯蓄と保険を併用して払える算段をつけてくれた。
この時は本当に安心したなぁ。
ひとまずお金のことはクリア。
でも急性期の病院だから、私が悩む間に、次の行き先や退院後についての話し合いがどんどん進んでいった。
それにサインをするのも、決めるのも私。
血圧がもともと高い母なので、いつ脳梗塞後の痙攣や、脳内出血を起こすかもわからないと言われた。その時はどうしますか?とも。
私はその時どう返答したか…、訳が分からず、たくさんの事を決めたり、覚悟したりしなきゃならなかった私。
たったひとりの家族を失うかもしれない怖さ…。頼りに生きてきた人が、存在が、一日にして頼れなくなった怖さと、孤独感。
その怖さったらなかった。
でも私は答えたの。
~母を苦しませないでください。痛みがないようにして~って。
それだけ絞り出して答えたのを覚えてる。
多分、病気になる前の母だったら、そう言うだろうって確信があった。
でも答えた後は、本当によかったのかって不安だとか、怖さが襲ってきて、しばらく満足に眠れなかったな。
結局母は、その後もちなおしてリハ病院に転院し、自宅へ戻ることになったけど、働けはしないし、生活は一変した。
私が働かなきゃならなくなったから。
母も片麻痺が残り、生活自体がリハみたいなものだった。
住んでいたアパートも、杖で階段を登るのが大変で引越したの。
次の年、また脳出血で倒れて、さらに麻痺が酷くなった。
その後も母は病気を繰り返した。
私はその度に強くなった。
守られる人から、守る人にならざるを得なかったから。
そうしないといけないから、あえて強くなったの。
友人の苦しさや、怖さが
本当に痛いほどわかるから、
私はあの時私がして欲しかったアドバイスを彼女に惜しみなくする。
ただ話をきいてもらうだけでもよかった。
怖いことを、怖いって話せるだけで
少し怖さを受け容れられる。
あの時の私にはそういう人がいなかったから。
彼女が納得できるように。
立ち向かえるように。
辛くて怖いけど、大丈夫。
貴女には旦那さんもいて、
力足らずでも、話をきくだけだけど私もいる。妹みたいな彼女。
どうか立ち向かえますように…。
私も本当はこんなに強くなりたくなかった。仕方ないけどね?どんどん強くなってぶれないようになってさ。
私の生い立ちの話をして、全て聴き終わったた時、初めて寄りかかってもいいよと、白髭さんが肩を貸してくれた日、私は子どもみたいに泣いたんだった。
私が弱くなったのはその日と、白髭さんが亡くなった後の半年くらい。
そのあとは、それを経てさらに強くなっちゃって。精神的に本当にブレなくなってしまいました(笑)
だから肩を差し出してばかり(笑)
どうぞ、よりかかってくださいって。
ふぅ~
私があと何年生きるかわからないけど
娘っこが、私みたいに強くならなくてよいように、そんな運命にならないように
頑張ろう!