足を刺された私は…
泣きながら抵抗した

誰も助けてくれなかった

傷にオロナインを塗りながら泣いた

その後も暴力は続いた

そんな日常を過ごしていたある日…
友達や近所のおばさん達に『あんた…ちょうせん…らしいな…』と言われた
何の事か全くわからずにいた

それから…
『ちょうせん!ちょうせん!』
『ちょうせんキムチ臭い』『ちょうせんニンニク臭い』と友達から言われるようになり…私から離れていった…

つづく…

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周りから
誰も居なくなった…

家ではA子の暴力
外では
学校の友達だった子や近所の人から
『ちょうせん!』とまるでゴミのように扱われ
生きるのが辛かった

私は人生で2度
自殺を考えたことがある

1度目は
その頃だった

天井にヒモを吊り
首をかけた

が…怖くて出来なかった

ある日
母から電話が入り
今すぐ
母の家に来るように…と
言われた

つづく…



母から呼び出しの
電話が入り

一人タクシーに乗せられ
母の家に向かった

母の家に着いた途端
母から
『かずよは、もうあの家には戻らへんで…』と
言われた

運動会前だったので
『運動会は出れるん?』と聞いた
母は…
『あかん』と言った

この日でA子とおばあさんとは、お別れになった

A子からの暴力
友達からのいじめから
解放されたが

次に起こった試練は
もっと辛かった…

つづく…

母が住んでいた
マンションに2~3日居た
そして…母はマンションの荷物もそのままにして

私を連れて名古屋に向かった

辿り着いたのは…
母の朝鮮学校時代の
同級生の家

そこで、私は母が
日本人ではない事を理解した

そして『ちょうせん』と
いじめられていた原因が
わかった

お世話になった家の人達が朝鮮語まじりの日本語を話しキムチを食べているのを見た時…
衝撃が走り
『私は日本人!』と心の中で叫んでいた…


つづく…


キムチやニンニクを食べる事に嫌悪感が生まれた
私は絶対に口にしなかった
私は日本人…
私は日本人…

何度も心の中で叫んでいた
『ちょうせん』といじめられた事が深く心の中にあって
『ちょうせん』は汚い臭いと言われた事が深く心の中にあって

私は汚くない
私は臭くない
私は日本人と
何度も何度も心の中で
叫び続けていた…


つづく…