姑の介護をしている知人からこんな話を聞きました。

家族の食事、掃除、洗濯に加えて脳梗塞で体が不自由になった姑の介護で体は毎日くたくた。

それでも毎晩、姑は体をマッサージしてほしくてお嫁さんにさせていました。

それを見るに見かねた孫娘が、お母さんは家のこともおばあちゃんの介護も一生懸命やってるんだから、すこし休ませてあげて、と頼んでも状況は変わりません。

さて、これが続くとどうなるでしょうか!?

お嫁さんにしてみれば、こんなにも頑張ってるのになんでわかってもらえないのかと不満がつのり、精神的に参ってしまいそうです。

そして、このお姑さんは若い頃は一生懸命に働き、将来は息子の嫁に面倒をみてもらって余生をすごすことを楽しみにしていたそうです。

そんなお姑さんにしてみれば、お嫁さんが不平不満の状態で面倒をみていることは知らず知らず伝わっていて、気に入らないと思ってしまうかもしれません。

お互いに相手を思う気持ちが奥底にあっても、現状の出来事にとらわれているとそれが見えてこないことになります。

では、どうしたらいいのでしょうか!?

毎晩マッサージし続ければいいのでしょうか?

しかし、それだと姑の心は癒されません。

ポイントは将来、お嫁さんに面倒みてもらうことを楽しみにしながら、一生懸命働いてきたという点にあるのではないでしょうか。

一生懸命働いた、その姑の人生そのものを認めて、ほめて、尊敬する言葉を一番欲しているのだと思います。

「お母さんは若い頃から一生懸命働いてきて、家族や子供にも言えない苦労を乗り越えてきたんですね。私にはとても真似のできない人生を歩んで来られたんですね。」

こんな言葉をかけられたらどれ程嬉しいことでしょうか。

人は喜びを与えてくれた人には自然に喜びで返したくなるものです。

お姑さんもお嫁さんに日頃面倒を見てくれていることへの感謝の気持ちを返してくれるようになるかもしれません。

そうなれば、お互いに気持ちが通いあい、出来事としての現状が例え同じであったとしても、軽くなった心を通してみるとまるで違った景色に見えるのではないでしょうか?