出版記念講演会の翌日、
山の上ホテルが閉館になるので
パーラーに行くことになりました。
文豪に愛された古い洋館のホテルですが
プリンアラモードって
何年ぶりに食べたのかなぁ
とにかく大人気だそうで
整理券を取るために
長先生の奥様が朝7時から
寒い中を並んでくださったそうです。
山の上ホテルで食すのも
最初で最後の機会であり、
たぶん、今までの人生の中で、
もっとも贅沢で貴重な
プリンアラモードでした
その後、みなさんが早稲田にある
穴八幡宮へ行かれるというので
ご一緒させていただきました。
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した
源義家(八幡太郎)が凱旋の折、
日本武尊命の先蹤に習って
この地に兜と太刀を納めて
氏神八幡宮を勧請し、
永く東北鎮護の社として祀りました。
それ以降、
慶長・元和(1569年~1623年)の頃まで、
この辺りは八幡山と呼ばれ、
神木の下に小祠が祀られていました。
寛永十八年(1641年)、宮守の庵を造る為に
南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、
中から金色の御神像が見つかった事などから、
この時より穴八幡宮と
唱えられるようになりました。
ご祭神は、
應神天皇(品陀和気命)
仲哀天皇(帯中日子命)
神功皇后(息長帯比賣命)です。
こちらの神社で
冬至から節分に配布されるという
一陽来復のお守りが有名なのだとか。
この御守は、当社に伝えられる
福神(打出小槌)に起因するもので、
この打出小槌は新編武藏国風土記に
記載があるように、公家の水無瀬家が
山城国国宝寺より感得したものを
当社に納めたもので、
聖武天皇が養老七年の冬至の日に
龍神により授けられた宝器と
伝えられております。
穴八幡宮の一陽来復御守は、
江戸中期より年々冬至の福神祭に
授与された独特のものであり、
金銀融通の御守とも呼称されております。
霊験あらたかで、国内唯一のため
取り扱いがとても厳しいお守りです ⇒ ◎
壁に貼り付ける方位や時刻を
しっかりと守らねばなりません。
しかも、床に落としたら
効力はおしまいだとか
節分の午前0時に貼る必要がありましたが
私はタイのツアー中だったので
妹に方位を調べて貼ってもらいました。
(妹よ、ありがとう)
懐かしい方々と再会したり、
いろいろと楽しい1日でした。
来年の「光を観る旅」の初もうでは
こちらにお参りしようと思います!
ご新規さまの受付を
一時的ですが復活いたします。
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