私には、親友がいました。
3歳の時に幼稚園で仲良くなった、
綺麗な黒髪の女の子。
彼女と、たくさんの冒険をしました。
秘密基地を作ったり、園内で砂の城を作ったり、
親同士も含めて、毎週末、お互いの家でホームパーティしたり、公園や近場に出かけてバーベキューやピクニックをしたり。
とても明るくて利発で機転の利く子でした。
いつも、色んな楽しいことを思いついて、
私もとても一緒にいて楽しくなるような。
幼稚園を卒業して、
小学校が別々になっても、
2週間に1度は遊んでいて、
夏休みも毎年一緒に旅行に行って、
三年生になって受験勉強が始まって忙しくなっても、
ずっと手紙をやり取りしていました。
彼女が、いじめられていることを知ったのは、六年生の時でした。
彼女の母親が、私の母に、
彼女が塾で変なあだ名をつけられたり、ものをとられたり、仲間はずれにされたり、
いろんなひどいことをされているという相談をしたのです。
学校でも、かばってくれるような友達はいないと。
私はそれを母から聞いて、ひどくショックを受けました。
でも、本人から聞いた訳では無いから、
本人が相談してきたことではないのに、
私から知っているとか相談に乗りたいとか言うのはできなくて、
私は何もできませんでした。
私なら、いじめられてるなんて、惨めなこと、大切な人に言える自信ないから。
黙って耐えて大事な人の前で笑ってる方が楽だから。
だから、
ただ、かわらず手紙を、やり取りしました。
ずっと親友だよ。
受験が終わったら、遊びに行こうね。
でも、受験が終わると、今度は英語の先取り学習がありました。
第一志望校に受からなかったわたしには、遊ぶ権利は与えられず、
塾も学校も一旦は卒業だったこともあって、
なかなか話せないまま、
次の大学受験勉強が、始まりました。
手紙の頻度も、だんだん減っていきました。
そして、数年があっという間に過ぎて、大学受験の試験当日。
第一志望校の試験会場に向かう途中、
私と母は、彼女と、彼女の母親と、ばったり出会ったのです。
嘘みたいだけど、第一志望校は同じ大学。
私たちが試験を受けている間、
彼女の母と私の母は、色々なことを話したそうです。
じつは幼稚園でも、気の強い子の母親に、彼女の母親がいやがらせされていたこと。
塾で彼女をいじめていた子達の親が、彼女がいじめをしている、などと嘘八百を教師にクレームして問題になったこと。
とにもかくにも、第一志望校の試験は、
2人とも合格でした。
2人の結果が出揃うまではあまり連絡しない方が、と気を使っていたお互いの母親も、安心して、
入学式、一緒に行こうということになりました。
入学式の日、私は嬉しくて、彼女に駆け寄りました。
久しぶり、びっくりだね!
小さい頃、なつかしいね。たくさん、遊んだね。
でも、そう息を弾ませた私に、
彼女は言ったのです。
「私、あんまり明るい性格じゃなかったみたい。
ゆかちゃんがいたから、つられてあんなに元気だったんだよ」
私は一瞬なにがおきたのかわからなくて、
そのままそれ以上、なにも、言えませんでした。
それからは終始、あたりさわりのない、大人の人がよくするようなことを話して、
それから、キャンパスが違ったこともあって、
あまり話したりできないまま、
卒業してしまいました。
就職してから1度、会ってはなしたこともありましたが、
やはりどうしても、
あたりさわりのない大人のするような会話しかできませんでした。
私は、私がなにを間違って、
何を失ったのか、
わからないまま、
それでも、
まだ、
彼女のことを、親友と思い続けていて、
それでいて、
たぶんもう連絡を取ることもなくて、
ただ、もしも、小学生の私に戻れたら、
もっとなにか出来なかったのかって、
そう思うから、
そういうことが、人生にはあるので、
今関わっている人達みんな、
絶対後悔しないように大切にしたいって、
なんだかとりとめなくなってしまったけれど、
そんなことをふと、思いました。
言葉に出来ないこととか、直接言えないような想いが、喪失が、後悔が、懺悔が、郷愁が、思慕が、
たぶん少しずつ頭の中で分解されてバラバラに破片になって積もっていって、
人は歌ったり作ったり描いたりするんだと思います。