般若心経Part3 | 書家/女流書道家 三玉香玲の公式ブログ『書道の美』

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以前、このブログでもお話しさせて頂いた、経典を
書き写す、いわゆる“写経”というものがありますが、
現代の日本で写経と言えば、“般若心経”と言われる
ほど、一般的に知られている経典です。


さて、日本に仏教が伝来し、漢字が普及したという
ことは、意外に知られていないのかもしれません。
日本では、6世紀頃に仏教が伝来して以降、時代や
社会的な地位を問わず、多くの人々によって経典の
書写が行われてきました。
この頃、漢文は、日本の文化の中枢を担う文章と
されていました。
大陸から、漢訳仏典が日本に受容され、官立の写経
所では、写経事業が営まれ、写経生たちによって、
幾多の経典が書写され、多くの寺院に安置されて
いると言われています。
また、飛鳥・奈良時代の写経は、現在でも、何百巻
という単位で残っているということもあり、それだけ
でも、この写経事業の規模の大きさがしのばれます。


ところで、空海は、日本にはじめて真言密教を伝え、
日本の仏教文化に大きな影響を与えた人物として特に
有名で、日本書道史においても、三筆※(さんぴつ)
と呼ばれる能書家の一人として、敬意を持たれて
います。
※三筆(平安時代初期)・・・空海、橘逸勢、嵯峨天皇


そして、空海と言えば、“般若心経”が挙げられますが、
空海といえども、それは、日本人の書です。
日本人は古来、外から取り入れたものを、そのまま
使うことはせず、その時代に応じて、日本人の感性に
合うものを選び、使い分けてきたそうです。
それは、日本の文化の礎だと言えるのではないで
しょうか。