大阪には、

「御堂筋(みどうすじ)」という、南北に伸びるメチャ大きい通りがある。




昔、大阪駅から「難波まで」とタクシーに乗って、

気づいた。


めっちゃ太い道路で7車線くらいあるのに、

一方通行!

キタから、ミナミへ。

一方通行。


御堂筋は、今日も南行き。





さて、最近はよく「お散歩」コースで、

「梅田(キタ)」から「難波(ミナミ)」まで、

御堂筋を歩くようになったのですが。

運動がてら。

30分くらいのちょうどいい運動。


北から、南へ。

道路も広いし、歩道も広い。

しかも、周囲のビルは「高さ規制」があって、景色も良い。

南行きだから、目の前に、太陽を拝みながら、ぽかぽか散歩できる。

みどうすじは、今日も南行き。




そして昨日の散歩の途中、

御堂筋沿いに、「でっかい寺」があることに気づく。

よーく見ると親鸞聖人(しんらんしょうにん)のでっかい像が立ってて、

なるほど『浄土真宗』のお寺かぁ。

 

 

 


 

 

 

それにしても、デカい寺!



「東京で例えるなら、

東京駅のド真ん前の一等地に、でっかい寺があるみたいなもんやでぇ~」


と大阪弁で入って行くと、

入り口に看板があり、




「実はね~、大阪ってね~、ここから出来たんやでぇ」

って書いてある。


ここ、

大阪の

発祥の地でっせ。

って。


えー!???




まず親鸞聖人(しんらんしょうにん=初代)が、

「アミダさま、助けて」って言ったら誰でも天国行けるでぇ。

って言ってスタートしたのが、浄土真宗。



信じた門徒は、

みんな「南無(完全に委ねます)」+「阿弥陀仏」、

「南無・阿弥陀仏」「なむ・あみだぶつ」「ナンマイダー」

と唱えた。




ところが、親鸞(初代)が死んだら、

あっという間に宗教はちっさくなる。




そして、

8代目蓮如上人(れんにょしょうにん)が生まれた頃には、

マジでちっちゃい1軒の寺になってた。


その上部団体は、

比叡山延暦寺。




8代目の蓮如上人は考えた。

「そうだ、手紙を書こう」

ってことで、口伝だけで宗教して来た時代に、

ペーパーを使った。

ペーパーなら、言ったことが変わらない!


スマホの発明くらい凄い、

「手紙」という神媒体の使用。



こうして、

浄土真宗はメッサデカくなった。


さらに、やりチンだった蓮如上人は27人の子供を作って、

最後の子供は、80才を超えてから射精している、

絶倫大魔王!



そんな、

「浄土真宗を1代でメッサでかくした」8代目やりチン蓮如上人。

全国を回って、いっぱい布教して、

子供もいっぱい作り。


晩年、

今の大阪城の近くに「大阪御坊」を建てたのが、1496年。


その蓮如上人の子供が書いた本によると、

「あそこ、狼とタヌキが居て、

人なんて1人もおらず、家も一軒もなかった」


って書いてある。

未開の地だったのが、大阪なんやて!!!


1496年に、
ひとっこひとり居なかった、
タヌキとオオカミだけ住んでた
未開の地


が今の大阪よ?

わずか、500年前でっせ!


その後、大阪の街は「門徒」が増えて一気に発展し、

織田信長(1534年)が書いた『信長公記』には、



「大阪、やっべー町やで。

川沿いに船が上がって来て乗り入れとるし、

みんなバンバン商売しとる!」



って書かれてるので、

たった、30年で大発展したっぽい。



1496年にタヌキしか居ないジャングルが、

1534年には「めっさ都会や」。



浄土真宗は、

一向一揆(武士への反抗、庶民最高運動)を各地で起こし、

信長軍VS大阪本願寺

で3回戦い、

結局、大阪城の近くにあった最初のテラ、「石山本願寺」は焼かれた。



で、信長と和睦した後に、

大阪城の近くから、天満宮あたりにテラを移し、

その後、

この御堂筋沿いの「北御堂」に移って来たらしい。



門徒たちは、

「御堂(みどう)さんの鐘の音が聴こえる場所、

御堂さんの旗のはためきが見える場所に、のれんを張る!

を合言葉に、周辺にぐわーって集まって来て、

大阪という街を造ったんやて!


都心のド真ん中に、デカい寺やな

と思ったら、

逆で、


この寺が来るまで、狐しか住んでなかった場所に、

寺が来て、

「信長にボコボコにされた・・・。

よし、新しい御堂さんの鐘の音が聴こえる場所には、

のれんを張ろう」

と門徒が頑張って、

また子作りもメッチャしたので、全国各地から27人の子供たちが「めっちゃ弟子を増やして」帰って来て、



大阪という街を造ったんやて!



さらに、

前日の散歩で気づいたのですが、

御堂筋をもっと南に降りると、

またもや「でっかい寺」がある。


なんとこれも、浄土真宗。


北の御堂(梅田の近く)

南の御堂(難波あたり)


という2つの寺が建ち、

その2つの寺を行き来してる間に、でっかい道になり、でっかい街になった。







2つのテラを繋ぐ道、
「御堂筋」から
大阪という街が出来上がったんやて!!








こっち、南にある御堂(みどう)さん。


ちなみに、大阪人はよく

「キタ(梅田らへん)」で遊ぶ?「ミナミ(難波らへん)」で遊ぶ?

って使う、

「キタ」「ミナミ」も、

この浄土真宗からきてるんやって。



筋(すじ)というのは、南北に伸びる道のこと。

通りというのは、東西に伸びる道のこと。



御堂(みどう)筋は、今日も南行き(一方通行)。





8代蓮如上人

稀代のやりチン26人の子供たち。



でも、奥さんは全員「出産に疲れて死んだ」らしく、愛妻家。


8代目やりちんが、親鸞の教えをめっちゃ拡大して、

全国で「一向一揆(武家を倒せ)」を起こし、

信長と11年間戦い、

破れて、大阪城の近くにあった「石山本願寺」から引き揚げ、

天満宮の近くに移り、そして梅田のちょっと南に移った。



タヌキしか居なかった場所が、大発展!





帰りは、タクシーに乗った。

運転手さん、なぜか東京にメッチャ恨みがある人みたいで、

ずーっと東京の文句。



御堂筋はな、東京のヤツラが嫉妬したどうろや。

東京にも、あんな太い道路ない。

しかも、両サイド「高さ規制」があって景観も保たれてる。

嫉妬した東京のヤツラが、

「道を、細くしよう」っていま頑張ってるねん。


あとな、戦前までは大会社は、ほとんど大阪にあったって知っとるか?

戦後な、IMFのお金が出た東京に「無理やり」本社を移されたんやで。

大阪の会社が、税金欲しさに東京へ。

みーんな、大阪の会社やったんや。




グリコの看板の、道頓堀って

道頓(どうとん)さんが、私財を投げ打って作った堀なんやで。

東京では、道とか作る時は、必ず税金で作る。せこいねん。

でも、大阪では個人が寄付して道を作ってきたんや。







みどうすじは、今日も南行き。


この筋(=ストリート)では今日も、

タクシーの運転手が東京の文句を言い、

若者たちが太陽を浴びながら歩き、

キタからミナミへのメインストリートで、

大阪の「発祥の地」であるテラが2つあり。





みどうすじは、今日も南行き。

■TOKYO

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▼この記事を書いた人 Writer's Info

さとうみつろう

日本の作家・ミュージシャン。高校生の長男コクトウ君と、小6の長女ザラメちゃん、5才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…

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