photo : Juan Pablo Mayor

 

なんか今年の猪の🐗暴れ方がすごい

 

うちの畑の周りの掘り返し方とかも

 

犬二頭いるこの敷地の山には例年こんなに近づいてこなかった

 

各地の山暮らし仲間のSNSでも同様の投稿

 

山の無為な開発が進む

メガソーラーや全伐の影響なのか

 

近所の人が猟師を呼んだのか

この数日

近隣で連続して銃声が木霊する

 

夜中にウリ坊10匹ゾロゾロ連れた母猪を見たことがある

 

こいつらを養うのにどれだけ木の実や笹の根を探して回ることだろうか

 

しばらくして同じ親子を見ると

徐々に逞しくなる子供たちは

徐々に数が減っていき

ついには2頭ほどの立派な子を従えて

間も無く親離れかと言う頃合い

あとの8匹は逸れ(はぐれ)喰われ

あるいは罠にかかり、病に倒れ、なにゃ蟹や

それも自然の摂理

 

放った犬たちが小さなウリ坊を殺して捕まえてくることもあった

それも自然の摂理

 

たまに猪が近づいてきて

以前は夜中に犬たちが吠えても構やしなかったけど

 

うちも赤ん坊が生まれてからは起こされて泣くので

それが困るようになってしまった

人の都合

 

 

20代中盤から30代前半にかけて

都会暮らしの頃はハードコアなビーガンだった頃もあるが

今思えば少し頭でっかちで

 

沖縄に暮らして

ソーキそばに乗るたった1枚の小さな豚肉をお店のおバーに「肉抜きで」と言うのが嫌になり

 

戦争で焦土と化した島でブラジル移民のウチナンチュが送ってきた700頭の豚に救われた歴史を知り

 

いつもではないが

めでたいときにはラフテーやテビチをありがたく頂くようになり

 

選挙の終わった日にテビチの写真をアップして

動物愛護家たちに叩かれて炎上して

なんとも言えない気持ちに苛まれ

 

岡山の山奥で暮らすようになってからは

 

自分で捌きまではしないが

殺された猪の肉はときに食べるようになり

 

骨は犬たちが何よりのご馳走とし

 

獣害、として処分された猪や鹿の肉が

全国的には9割ほどが捨てられている実態を知る

 

ドッグフードの需要はこれほどあるが

と思うところもあるが

 

犬に服を着せて歩く人もいる都会の動物愛護と

田んぼ荒らされたら食い扶持に関わる田舎の動物愛護は

 

まるで話が噛み合わないところもあり

ややこしく複雑だ

 

私の感情も複雑だ

 

だが命を粗末にしない心根の猟師が捌く猪は

畜肉とは次元が違うほど旨く

 

人間至上主義の世の中では

 

とかく自然と距離の遠い人間が増えすぎたと思うし

 

夏休みに1回か2回

キャンプにいって楽しむ「自然」のそれではなく

 

狂おしいまでにまみれ埋もれ

逃げ出したくても逃げ出せないほど密接に繋がった野生の自然を生活に取り入れ

 

畏怖し

尊び

共に在ることを選び

 

動物宣言を発令したわけだが

 

実にまだまだな自分と向き合い

知恵と行動が追いつかない

 

かつてエリア全体で300世帯、この集落だけでも100世帯は暮らしていたという

今は10世帯の限界集落にて

自然と文明のエッジを守り調節する里山の人間の暮らしの役目と

その幸福なポテンシャルを

もう少し広く

都会で燻る若者たちにも知ってもらいたいと思いながら

 

ときに山を降りて

街へ演奏に出かける

 

行ったり来たり

色んな意味で

行ったり来たりの

ワッタガッタ(ハングル語で行ったり来たりの意味らしい)

What a gotcha な

 

そんな暮らし

 

 

しかし純然たる意味での

原始の森など

実はもうこの島ではかなり希少で

 

日本の国土の7割ほどが森林だが

原生林となると国土の4%以下で

これは悠久の時のみが作り出せる、人間の手を離れた領域

 

そもそも日本列島の生態系のトップであった

狼(オホカミ・オオカミ)

は明治時代に絶滅させられ

 

同じくトップに君臨する

熊は

住処を奪はれ

行き場を失いつつある

 

結果、彼らが食していた鹿が異常増殖し

北海道の自治体などでは半数に減らす計画なるものが

策定されたりしているわけだが

 

このお話は長くなるので

 

また