うっかり忘れそうになるし、忘れることは人が生きていく上で必須の能力だと思う。

 

2年前までは明らかにライブやイベントには自粛ムードが吹き荒れていたし、ロックダウンの時には完全に遮断された状況でミュージシャンたちは必死で配信ライブを試みたり助成金の申請をしていた。人が集まることが「当たり前」ではなくなっていた。

 

それから、情報としてのパンデミックは一応、情報としては収束をし、科学的には何もかもが曖昧なまま、なにか日常が戻ったような感じがするが、世界線は変わっていない。

 

僕らによく分かっているのは、戦争を企てる圧力も存在するし、世界を停める事のできる圧力も存在するということ。

 

そこには富の寡占という集団意識の原動力があって、それ以上のアジェンダや信仰が原動力になっている可能性もあって、そこから生み出されるプラットフォームに全身を委ねて生きる圧倒的大多数のエネルギーが世界をどこかへ導いている。

 

「次に何が起こるか、もうわからない」

という諦めの念のようなものが、社会と惑星とを覆っている感じもする。ミヒャエル・エンデが描いた「虚無が世界を覆っていく」果てしない物語だ。

 

未来は自分たちで手繰り寄せるものだし、実際には過去も未来も存在はせず全ては今起きているという感覚を失って、多くの人が大きな力に委ねてしまう心境なら、世界を情報で操る人たちの「認知戦」は長い時間をかけて成功を収めているということだろう。

 

かく言う僕も

「イベントやライブなんて、またいつできるか分からないよな」

と言う「俺たちに明日はない」感を内包しているし、

 

そこから

むしろ翻って「そもそもイベントや祭りをやるって何のためなんだ」とか「そもそも来年も再来年もって保証なんて前からなかったわけで」と言った、禅問答の材料にしている。

 

それに、選挙フェス2016(山本太郎推薦で東京選挙区に出た2回目の参院選)以降、フェス級のでかい主催を避けてきたし、そんな中でも岡山の僻地である赤壁邸で3回ほど試みたパーティは、どれも「内容充実、お客さん満足、主催者赤字」の例に漏れずで、この2年ほどは「呼ばれる」ことに専念して、主催を打ってこなかった。

 

しかし当世、なんだか如何わしい未来像と不穏な空気が世界を包んでいく中で、未来線0.1°変えるくらいのことは余裕で出来る僕らの「今」と言う波動を宇宙に記しておく必要を感じたりもするし(つまり何もしないでいると何もできない来年や再来年になってしまうんじゃないかという危機感)、あとは単純にマンパンの「満パワー」に充ちた赤壁バッシュを成立させたい、人間の熱量が生み出す文化の奇跡を岡山のあの場所でも見てみたいと言うシンプルな想いもあって、かねてから僕の頭の中で構想のあった3バンドを軸としたライブを組んで岡山の仲間たちに協力して動いてもらうことにした。それが4月27-28日に開催される祭りの発端となった。

 

ところで、「俺たちに明日はない」感とは言ったが、

それは決して投げっぱちな意味合いではなくて、そのくらい今を大切にする思いに繋がるし、

アメリカン・インディアン運動の闘士、デニス・バンクスの「Today is a very good day to die.(今日は死ぬにはもってこいの日だ)」とも通ずるような感覚を、少し投げっぱちに言ってみせているだけである。

 

(明日に続く)

 

 

 

 

チケット好評販売中!

4/27〜28

赤壁邸 「犬ってばかりの亀」

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楽しみ処 うたげや(大阪)

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(赤壁音楽祭2024開催記念・特別連載「俺たちに明日はない①」)