防衛医大ってどんなところ? | 美容外科開業医の独り言

美容外科開業医の独り言

美容医療とは人間愛!という信念で仕事をしている美容外科医のブログです。
レーザーなど最新の美容情報や普段の診療で感じたことなど、ぼやきを交えながら書いていきます。
外見だけではなく心も綺麗になり、自信が湧いて幸せになれる、そんな美容医療を目指しています。

私は防衛医大(正式には防衛医科大学校)を卒業しました。
お堅い防衛省管轄の学校を卒業して、どうして美容外科医になったのかなんて思う人もいると思いますが、私の他にも数人美容外科で開業している先輩、後輩がいます。皮膚科開業医で美容機器を導入している同級生もいます。実は防衛医大だからって、医学教育は通常の医学部と違うなんて事はありません。医師になってからの研修も普通ですし、その後の赴任先で自衛隊駐屯地に行くことが多いものの、防衛医大病院での研修が数年ごとにありますし、その間は一般の医師と同じような仕事をしています。もちろん、私は防衛庁(当時は庁)を退職してから、本格的に美容への道を歩みましたが、もともと軍医さんになろうという高尚な目的があって入学したわけではありませんでした。でも、同業の医師仲間との間でも、防衛医大卒というと、ちょっとそういう色眼鏡で見られることがあり、ミリタリーマニアの先生なんかがいると、色々聞かれてしまいますが、あまりに私が自衛隊のことを知らないので、がっかりされることもあります。
防衛医大を卒業して自衛隊の医者になって、さらには自衛隊の駐屯地に勤務してさえも、実は軍事の実践的なことはあまりしません。専ら演習中の救護と医務室(診療室)での診察が第一で、医師は本業を頑張ってくださいというのが自衛隊内での期待されている部分でした(もちろん救護訓練でヘリコプターから吊されたり、銃を撃ったりなど必要最低限のことはします)。むしろ卒後よりも大学時代の方が特殊だったかもしれません。

防衛医大の学生時代というのは、全寮制で外出も厳しく制限されましたし、授業に出るのは、勤務と同じです(給料をもらっていましたので)。授業に行く際は行進していきますし、朝の朝礼では国旗に敬礼します。朝晩の点呼もあり、行方不明にはなれません(もちろんその後こっそり抜け出したりなど色々と抜け道はあります)。敬礼の仕方や行進の仕方、整列の仕方などの基本教練もありましたし、夏休み前などには必ずあちこちに訓練に行きます(北海道から沖縄、硫黄島まで)。
この生活で良かったと思うのは、様々な考えを持つ学生同士、たくさん語り合えたことです。6年も一緒に住めば、同期、先輩後輩の絆も強くなります。同じ釜の飯を食った仲間の意識が強くなりました。さらには、そういった厳しい特殊環境ゆえに医師の子弟というのは殆どいませんし、苦学生や地方の秀才など本当に一般的環境の人間ばかりでした。お坊ちゃんやお嬢さんは滅多にいませんし、いても学生生活に揉まれて逞しくなります。
医師になることと自衛官になることの矛盾、当時はPKOもありませんでしたから、自衛隊への世間の冷たい目も感じながら、若かったがゆえに反発し、みんなと討論し、また精神を鍛えたなあと思います。
そんな中で生活して、無意識に培ったものがこの仕事をしていて役に立っているんだろうなと思います。多少辛いことがあっても逃げ出さずにここまで来れたのは、多分その時に得たものがあったからだと思いますし、患者様との接し方にも影響しているような気がします。
もうかれこれ10年以上大学を訪れていませんが、同期の何人かは母校で教鞭を執っていますし、何となくですが繋がりもあります。
来月は大学時代に所属したクラブ(弓道部)のOB会に参加する予定なので、ちょっと懐かしくなって、こんなブログを書いてみました。