・・・たどっていくんです。
この「気持ち悪さ」、どこから来ているのかな?って。
こう思ってみて、何となく心の中に浮かんでくる、記憶、感覚、思い出したことを追っていきます。
・・・。
何時間かあとでってこともあるし、
何日かたってというときもあります。
でも、これをするとね、行きつくんですよ。
あ、これ!っていう記憶に。
そういえば、
あのとき。
この人が。
この誰かに。
もしくは、私に。
こんな言葉を使って。
話しているのを聞いたな・・・とか。
(あんなこんなばっかでわかりにくいけど)
そんなふうに、ぼやっと出てくる感覚があります。
これを書きながらも一つ、気付いちゃいました。
私が行きついた記憶は、父親の言った一言。
たぶん、小学4年とかそのくらいのとき。
内容はちょっと書けませんが^^;
あーー、そうかー。
この「気持ち悪さ」は、あの一言と結びついてたんだ。
そんな感じ。
たぶん、本人は何の悪気もなく、何気なく発した言葉だと思います。
で。
そのときに。
私は、凍りついたわけです。
ショックで。
嫌悪感が出るより先に。
抵抗して自分を守ろうとするより先に。
その言葉がすっと入ってきてしまった。
聞いてしまった。
周りからは決してわからないけれど、“ひっそりと傷ついた”のですね。
今、思えば。
そして、その“ひっそりと傷ついて、出てきた血を見て呆然としている自分”をすっかり置き去りにしてしまったような気がします。
手に負えないから、隠した。
自分にはどうにもできないと思ったから、そのままにした。
そして、今まできちゃった。
「気持ち悪い」の下に、なんだかわからないけど、これだけの気持ちがある。
「気持ち悪い」の下には、「自分もわからないほどひっそりと、傷ついた自分」がいないでしょうか。
相手がどうとかじゃなくて。
その小さな自分を置き去りにしてきたことに、気付いてみてください。
私は、そんなところから始めました^^
呆然としたままの小さな自分を、今の自分が介抱してあげる。
その相手が、とか。
その言葉が、じゃないんです。
小さな自分を、自分が切り離したまま、そのままにしてしまった。
傷ついたまま、放り出してしまった。
それを今、ケアするだけ。
ちなみに、私のその小さな自分は、結構なショックを受けたようで、
私のほうを見はするけれど、何にもしゃべれませんでした。
(イメージの中でだけど^^;)
だから、「わかった、何にも言わなくていいから」といい、とりあえず、血とか拭いてみて、包帯巻いて、あったかいお布団に寝かせてます^^;
そんなふうにそのときの自分と、接してみる。コミュニケーションしてみる。
そこが根っこかなーと思ったから、私はそうしてみています。
表面に出ている「気持ち悪さ」と戦うよりも、効果があるかな?と思って、人体実験中です^^
「気持ち悪さ」の下には、「ひっそりと傷ついた自分」がいるかもしれない。
一人で手に負えない方は、こっそり教えて下さいね^^
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました
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