ある人のアドバイスで、今までの人の出逢い、それからその人からもらった言葉をもういちど自分の中に整理することをしてみています。
その人は今までの出逢いの中でも人を惹きつけてやまない、特別な人です。なんだかその人らしい提案だなぁ、と思っていました。
で、書き出していくと、もらった言葉でもそのときには本当に理解していないというものがあったりすることに気づきます。


そのひとつに「君は機械みたいだ。愛がない」というのがあって、たしか学生時代だったけれど、そのときは衝撃的だった割に、まったくピンとこず、そのまま置いてあったのですが、今はなんとなくその理由を理解できるな、というような。(言わんとしていることがわかる)
…あ、一応補足しておくと、そのとき言われたのは「昔は機械みたいだったけれど、愛することをようやく知った」ということだったと思います。
つまり君は変わったね、と。でもあまりにその昔の私の描写の部分が強烈すぎてそれが残ったのですね。


想像力が追いついていないことは、人生を時に生きづらくします。当たり前に思っていたことが実は当たり前じゃないことが、山のようにある。それに気づくまでに、一体どれくらい時間を要するでしょうか。それは人それぞれで、ただ、人間いつからでもやり直しはきく。
恥ずかしかろうが今からでも思いっきり転んででも、これからは掴んだ真実を握りしめていたい、それがどんなに大切なことか。ようやくそれに気づいたのです。



さて話を戻して、そんなふうにひとつひとつ取り出して、並んだ言葉をながめていると、くれた人の愛の深さがよく分かるのです。
どれだけ自分のことを見てくれているのかが分かるのです。
もちろん、耳障りのよいものではないものもたくさん含まれています。
でも、自分を知るのに、それ以上助けてくれるものはないのではないかと思うほどです。そしてこれまで出逢ってくれた人、真剣に向き合ってくれた人がどれだけいてくれていたのか、ということを知るのです。



言葉って宝物だなって、今改めて思います。
皆さんも、やってみると面白いかもしれませんよ。
私もつづけてみます。