私たち家族が東京都の八王子市から山梨県の富士河口湖町に移り住んでから、3年と2ヶ月が経とうとしている。

2012年の9月、移住してまだ間もない頃のこと。
私たちを招き入れてくださった方々が、歓迎会を開いてくださった。

その方たちのなかに、アキラさんがいた。
アキラさんは、山中湖在住。ウチからは20kmほど離れていて、クルマで40分くらいかかる。でも初めて会った歓迎会の時の他のメンバーがみな近所の方たちだったので、今でも感覚的にはなぜかご近所さんみたいな気がしている。

左がアキラさん。右は、私たち家族を河口湖へ導いてくださった恩人の富士河口湖農園の平田さんご夫妻。

アキラさんは、ジョークと食べることが大好きな、陽気でおしゃれなおじさん。
私のとっての最初の印象はそんな感じだった。

実際のところ、それは本当にそうだったのだが(笑)、徐々にリスペクトすべき面があらわになっていった。アキラさんは、この世に生を受けた意味というか、自分の使命というようなものをしっかりと見据えて、そこに忠実に生きている人。

その使命がどういったものかということは、私にはうまく説明がでる自信がない。
もし既存の職業のカテゴリーにあてはめようと思ったら、アキラさんは教師であり、医師であり、神父であり、僧侶であり、カウンセラーであり、シェフであり、ディーラーであり、あるいはアーティストでもある。

アキラさん自身が、誰よりも厳格に自らを律し、高め、清め、そして解放し、なにか大きな存在に身を委ねている。しかし実際の私の目に映るアキラさんは自由で、しなやかで、清々しい存在である。戒律的な窮屈さや、ストイックな悲壮感はどこにもない。むしろ大らかで、愛に満ちている。
観念的な机上の理想論ではなく、彼の呼吸が、立ち居振る舞いが、使う言葉が、周囲を変化させるほどに強いエネルギーとなって放たれている。



瞑想を日課にしている人はきっと最近は増えているのだろう。かくいう私もいろんなアプローチで瞑想を試みている者の1人だ。

日天月天での24時間演奏を終えて間もなく、アキラさんと会ったときのこと。
アキラさんの誘導瞑想のワークを、モジャの生演奏と一緒にやってみないかというお誘いをいただいた。うれしいばかりのお誘いなので、二つ返事でお受けした後、実はこれまでにちゃんとアキラさんのワークに参加したことがないことに気付く。

まずは一度実際に体験したいということで、9月9日に秦野の「くりはら」さんで行われたワークに参加した。「日天月天」での24時間演奏の日から、9日後のことである。


そこで私が体験した誘導瞑想というものを、ツアー旅行にたとえてみよう。

メンバーはほとんど初めて会う人たちばかりだが、そこに集まった目的は同じ。
連れ立って同じ目的地を目指す。
それぞれに持ち寄った思いは様々ではあるが、たどる道程、眺める景色は同じ。

そこでアキラさんがどんな役割を担っているかということが重要なわけだが、事前の私のイメージでは、景勝地の説明をするガイドさんのような存在なのかと思っていた。
でも実際はちょっと違っていた。

あるときは私たちを乗せた乗り物の運転手であったり、私たちが歩いてゆく遊歩道を整備する作業員であったり、ビザや入場許可証を入手するための根回しをしたり、宿泊先の部屋を確保したり。

いかにスムーズに、そしてそれぞれの参加者にとってちょうどよいかたちで、目的地へのプロセスを楽しみながら進むことができるかということに専念するエキスパートのような存在。
誘導瞑想という場におけるアキラさんの役割は、そんなことのように私には感じられた。


そして私も、果たしてその目的地にたどり着くことができた。


その目的地とは、◯◯◯であった。


その3へつづく