今年の8月、岐阜に初めての旅をした。

酒井大介氏の講演会とともに、24時間のライブ演奏で参加することになったのだ。

場所は恵那市の笠置山のふもとに立つ、「日天月天」というスペース。
元は神社が建っていたという敷地に、福井から移築されたという堂々たる古民家が建っている。


到着した当初はさほど感じなかったのだが、この場所がとても強い氣に満ちた場所であることをのちに体感することとなる。

演奏の本番に先立ち「日天月天」のオーナー、舩橋一華さんに、裏にそびえる笠置山を案内していただく。そしてこの山が、とんでもないパワースポットなのだということを知る。

山の至る所に散見する巨石群。ピラミッドの形状の岩には、古代シュメール文字が刻まれているという。UFOの目撃情報も多数ある場所だそうだ。



写真のピラミッド岩の傍らに立ち、目を閉じてしばらく佇んでいた。
足の裏がジワーっと温かくなって、小川の流れの中に立っているような感覚になる。
大地から沸き立つプラーナ(息吹)が、自分を通り、そして抜けていく。


河口湖の自宅から恵那まで230km、朝から高速で約3時間移動してきた疲労と距離感はすでに消え失せ、いまここに立っているというリアルな感覚は、時空を超えて、太古の悠久へと溶けてゆく。

酒井大介氏は、世に真実を伝え続ける現代の語り部だ。
彼の講演の隣で演奏するとき、私は彼の言葉を、論理や意味の次元ではなく、感覚やインスピレーションの次元から聞く人に伝えていく橋渡しの役を担っているように思う。

一方で私も、誰よりも近い距離で彼の言葉に耳を傾けてきた者の1人だ。彼との出会いから、あるいは彼の口から聞く言葉から、自分の中の固定観念が、一体どれだけぬぐい去られたことだろうか。

24時間話し続ける、という企画は、一見突拍子もないイベントのようにも思える。しかし、それだけの分量をかけないと伝えきれないものがあるのだ、ということを、誰より彼が感じていて、このかたちはある意味必然だったのだろう。

演奏者である私のほうはといえば、酒井氏の思いに突き動かされて、ただ闇雲なままに参加を決意したのだが、結果は期待を越えていた。私自身の演奏も、ある極限まで自分を追い込まなければ出て来ない音というものがあるのだということに身をもって気付かされることになったのだ。

講演は、2時間単位で区切り、間に10分の休憩を挟みながら全12回の構成で進められた。
午後7時に開始され、翌日の午後7時まで。




本番中は水分を摂る以外には、一切食事をとらなかったのだが、いろんな方からのサポートもあって時間が経過してもさほど疲労を感じないまま、終盤を迎えることになった。

最後の2時間を迎えたときであった。

酒井氏は、日本の神話について話している。古事記から、長い文章を朗々と引用しながら。
私はまるで満天の星空を見上げるように、天井の虚空に目を向けて音を奏でていた。
ふと気付くと、部屋の天井のあたりが、白いもやに包まれている。白くて細かい光の粒が、オーロラのようにうごめきながら漂っているのだ。

私はすっかりそれに見入ってしまい、忘我の境地で不思議な次元をさまよっていた。
聞こえてくる神話のメッセージ、そして自分が奏でているはずの音は、自分が出しているという感覚がすっかりなくなり、音そのものと一体になるような感覚になる。

私の見ていたものが決して幻覚ではなかったということが後にわかった。
講演を見に来てくださり、その場面に居合わせた方のなかに、私と全く同じものを見ていた人が現れたからだ。私が天井の中空のあちこちを見ているのを見て、きっと同じものが見えているのだろうと、演奏の終了後に私に声をかけてきてくれたのだ。

このときの演奏は、逐一ライブレコーディングとして記録されている。そのときの音源を聴き返すと、そのときの感覚が再び鮮明に蘇ってくる。

この音源はCD化してリリースすることになった。制作もほぼ仕上がり、あとは発売のタイミングを待つばかりとなっている。CDは2枚組、全13曲、トータル136分となった。

これ以外にもいくつかの忘れられないエピソードを重ねて(こちらについてはいつかまたあらためて…)、再び訪れたいという思いを胸に、この地を後にした。

そしてその思いは時を経て予感に、そして確信へと変わった。


その2へ続く