4月24日付けの朝日新聞デジタルに次のようなタイトルの記事が掲載されていた。

【発達障害の息子の行動が許せない母 「変わるべきは私」受けた訓練】

宿題をせず、ゲームばかりの息子。叱っても態度を改めない息子の行動を「おかしい」と思った母が医師に診せると、発達障害と診断されました。途方にくれた母を救った訓練法とは。(有料記事)

 

 読まなくても何となく想像がつきそうな内容だが、一応読んでみた。

 まずは引用。

 

「息子(12)は、集団行動が苦手なのかもしれない。母(50)がそのことに気づいたのは、小学校にあがって間もなくのことだった。

ある日、担任から電話がかかってきた。

「授業中、クラスで周りにだれもいないような雰囲気で座っています」

登校後もランドセルから教科書を出さず、授業中もうわの空。教室の移動も遅く、クラス全員を待たせることもあるという。

友達とのトラブルもたびたびあった。

3年生のとき、休み時間中のドッジボールで、手加減することなく女子にボールを当てて泣かせてしまったことがあった。

「自分がされたらいやじゃないの?」

母が尋ねると、「俺は悪くない。ドッジボールのルールだから仕方ないし、自分だったら泣かない」と言い張った。」

(引用終わり)

 

こうした子どもの行動が「問題」となるところが、まず日本的だと思う。

しかし、日本では「周囲」の力は相当である。当然、母親は「周囲」と自分の息子を比べる。そして、その行動がどうしても「許せない」。

なぜ、できない? なぜ「普通」にできない?

しかし、できないものはできないのだ。

それを責めても問題の解決にはならない、と気づいた母親は「変わるべきは私」と考え直すというわけだ。

その助けとなったのが、この記事でも紹介されているクリニックである。

東京都江戸川区にある児童精神科「まめの木クリニック」。

受診をすると「注意欠如・多動症(ADHD)と自閉スペクトラム症(ASD)」という診断。

それに沿って子どもにどのような「治療」がなされたのか書かれていないが、親に対しては「トレーニング」が施された。

このクリニック、ホームページを見ると、かなり盛況である。すでに今年の9月まで、初診の予約は満杯だとか。

そして、ここでの売りは、「まめの木式ペアレント・トレーニング」である。

つまり、親自身が発達障害の子どもへの接し方を「学ぶ」ということだ。

親が変われば、子どもは変わる。

これは真実だと思う。

それで、記事では親が変わって、子どもも少しずつ行動が改善しているそうだ。

めでたし、めでたし。

ま、これはかなりうまくいった例だと思う。

 

記事中では、ペアレントトレーニングについて、以下のような説明がなされている。(概略)

 

欧米のガイドラインでは、ペアレント・トレーニングがADHD治療の第一選択として推奨されている。国内のADHDガイドラインでも、薬物療法の前にペアレント・トレーニングなどの心理社会的療法から始めるべきだとしている。

しかし、現実はまだまだ広まっていない。

その理由の一つが、自由診療になっている点だ。

一方で、ペアレント・トレーニングの簡易版として開発された「ペアレント・プログラム」というものがある。

 子どもが発達障害と診断されてはいないが、育てにくいと感じている親が対象で、子どもの行動を正確に把握することを主な目的としている。(子どもの行動を「正確に把握」なんてできるのか?)

 1回60~90分を3カ月間、全6回行うプログラムが標準で、訓練を受けた保健師や保育士らが支援する。

厚生労働省も家族への支援策の一つとして、18年度からペアレント・プログラムを実施する自治体に補助金を出しているらしいが・・・。

心配なのは、「訓練を受けた保健師や保育士」の医療信仰だ。まずは子どもには薬を飲ませて、そのうえで親のトレーニング、なんてことになってなければいいのだけれど。

なんだか、そんな匂いがしないでもない。

記事中では、子どもが発達障害かもしれないと悩む保護者向けに、下記のところを紹介しているのだ。

●国の発達障害情報・支援センター(http://www.rehab.go.jp/ddis/

HPを見ると、まずは医療を受診するとしている。で、ADHDに使える薬、ASDに使える薬等々、医薬品情報満載。

●日本発達障害ネットワーク(https://jddnet.jp/

相談窓口として、結局は、全国の発達障害支援センターを紹介しているだけ。

発達障害支援センターは医療とべったり。

 

朝日新聞の記事も底が浅いというか、発達障害の問題をあまりわかってないような印象だ。

【発達「障害」でなくなる日】として数回にわたる連載だが、投薬についてはまったく触れていない(コメントで一人触れている人がいましたが)。

 そこを深堀するといろいろ面倒になるからか、どれもみなとっても安易な記事ばかりと感じた次第だ。