10月11日の東京新聞(web)の記事です。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/282873

 

 リード部分を引用します。

 

「もう拘束はやめたい」。精神科病院に勤務する看護師らが立ち上がった。病院での身体拘束を再考する会を設立したのだ。拘束は医療者側の不安から行われているとし、拘束後の患者と良い関係性を築きにくいと訴えた。

一方、日本精神科病院協会の山崎学会長は日精協の月刊誌9月号で、自ら「ドン」と名乗った上で、身体拘束を全肯定する意見を改めて披露し、関係者らを啞然とさせている。

 

 看護師らが結成したのは、「医療従事者の会」といいます。

 この日は武見敬三厚労相(日本の精神科病院を牧畜業と言い放ったあの武見太郎氏のご子息)宛てに、拘束について医師の裁量を最小にすることや、拘束時間を1日4時間以内に上限を設けることなどを要望しました。

 

 しかし、「医療従事者の会」の会員はまだ6人です。内部から声を挙げることの難しさをこの数字が物語っているようです。

 というのも、例の日精協の山崎会長がこの動きをけん制するように、月刊誌(9月号)の巻頭言で反論を展開しているのです。

 身体拘束件数は、2003年度に5109件だったものが、20年度は1万995件で、過去約20年間で倍増していますが、そのことについても、山崎氏は「17年の1万2528件をピークとして(略)拘束は大幅に減少に向かっている」と言います。

 さらに、「現場を知らないど素人に口を挟ませたくないのが『ドン』の本音である」(自らのことを「ドン」と書くのは、以前の東京新聞の記事で彼のことを「ドン」と書いていたことへの意趣返しでしょう)。

 

 一方、早稲田大の甲斐克則教授(刑法・医事法)はこう述べています。

「精神科医は拘束を医療だと思っているが、付随する措置にすぎない。要件は非常に厳格にし、やむを得ない場合に限るとしていかなければならない」。「精神医療の現場の医師は自身の裁量で何でもできると思っているが、大きな間違い。今回のように病院の内部から声が上がることこそ現場を変える一歩につながる」。

 

 私もそう期待したいところですがが、どうもこの「ドン」の存在が……。

「医療従事者の会」に参加することで職場での立場が悪くなる可能性もあり、二の足を踏む現場の看護師が多いと想像します。

 

 それにしても、2か月、いやそれ以上の期間拘束されるというのは、いったい何が目的なのでしょうか。それを「医療」と呼んでもいいのでしょうか。エコノミー症候群による死亡事故が起きるたびに拘束は問題になりますが、改善の方向性は見えてきません。

 以前、精神科の看護師が言っていた言葉を思い出しました。

「拘束すると、患者さん、やっぱり落ち着くんですよね」

 この言葉を聞いて、現に何日にもわたって拘束された当事者はひどく憤慨していました。

「騒げば騒ぐほど拘束がきつくなるから、あきらめて静かにしているだけなのに……」

 

 公益財団法人「日本医療機能評価機構」(東京)が求める基準では、隔離時は1時間に2回、拘束時は4回の観察が必要とされていますが、それが守られたという話はとんと聞いたことがありません。隔離したらほぼしっぱなし。拘束したらほぼしっぱなし。

 

「身体拘束をやらなければ、精神科病院はもたない」と山崎氏は言っているようです。「現場を知らないど素人」からとやかく言われたくない、というのが彼の極論を支える論理ですが、今回は「ど素人」どころか、身内のはずの看護師らからの声です。

この活動に賛同する精神科看護師がどうか増えますように。もう束になってかかるしかありません。