今日、ずっと考えていた。

今私がとってもやりたくてできてないことは、
両親の前で心から素直な自分でいることでした。

怒ったり泣いたりはあるけど、
うわーって笑ったり
喜んだり、楽しい!!って表現したりがない。
出そうになっても我慢してた。
恥ずかしくて。

父と母はおしみなく私に与えてくれるのに、私がそんなだから悲しそう。
私は父と母に、2人を大好きだよ!
と言えてないと思ってる。

これじゃいけないと思ってる。
しかし恥ずかしいと思う自分に、
“それでいい、しょうがない”
としてる面もあった。

でもいやなんだ。

そう思って、内側の世界でイメージしていった。

色んなイメージ、紆余曲折をへて、私は宣言していた。

私が天地に誓って、心から本当だと言えることは、

父と母が大好きだということ。

これは
心から、本当に。

言い聞かせてるわけじゃなかった。
だって本当だった。

その強いおもいが、うわーっと出てきて
ひたすら、心の中でくり返した。

何度も、何度も。
涙を流しながら。

そうしたら、心の中が一面真っ白の世界になった。

目の前に扉が出てきた。

どうする?入る?と聞かれて、
もう私は思いきった。行くことにした。

そうしたら
そこは『基本的安心の世界』だった。

もうそうとしか言えなかった。

心の基盤、基本的スタンスが
『安心』
にある人たちがいる場所だ、と思った。

ここにいると、
自分が今まで
『基本的不安の世界』にいたことがわかった。

何もかもが、崩れ去る、消える、壊れる、うまくいかないことが前提の世界。
その上で全てを選択、決めて、動いていく世界。

だから同じ人の同じ行動を見ても、
『基本的不安の世界』にいると
「嫌われる!」「まずいぞ」と思って行動をとる。

『基本的安心の世界』
にいると、同じ人の同じ行動を見ても、
不安は起こらない。
他者に左右されず、何かあっても「そうなんだ」くらいで、
自分の心地よい行動をしてる。

2つの世界の違いが大きく感じられた。

扉を超えても、しばらく真っ白い雲のような世界が続いていた。

職場でよくぶつかる人が、ふっと現れた。
「やっと来た」
と涙ぐんでいた。

「僕たちが笑っていた理由がわかるでしょ」と話し、共に歩いてくれた。
こっちだと先導してくれた。

自分の表情がゆるんでいた。

ふわふわとテンションが高いわけではなく。

地にしっかりと足がつき、ぐっと、
心の底から安心感に満たされていた。

初めて、自らピョンと飛び乗った場所のような気がする。

いつも「乗り遅れる」「遅刻する」
と焦っていた場所に、
ようやく来れた。
自ら、一歩踏み出せた。
飛び込めた。
そんな気がした。

私の周囲の人の中には、ずっと
『基本的安心の世界』にいた人もいる、
と直感で感じた。

私は『基本的不安の世界』にいたから、
相手の感覚がわからなかった。
向こうも私の感覚は全くわからなかっただろう。

『基本的安心の世界』にいても、
『基本的不安の世界』にいても

ある程度起こる現象は同じだろう。

でもそのことへの捉え方は、
全く、全く違ってくる。

私は、この『基本的安心の世界』へ移っていく。

その方が、何が起こったとしても、
少なくとも『基本的には安心』なんだ。

そんなことを思いながら、雲の上を歩いて行ったら、
両親もいました。

母へ、ありがとう。大好きだよ。
父へ、ありがとう。大好きです。

まずは自分の心から。内側から。
ここから始まっていくんだな。

とっても大切なイメージ。

大事にしていきます。