私の母親の妹、叔母について書こうと思います。
叔母(◯子ちゃん)は2024年2月26日の朝、逝きました。
私と叔母は15歳違い。
私が15歳の時、叔母はちょうど30歳でした。
私の母とはひと回り、12歳歳の離れた姉妹でした。
兄が生まれて初めて「叔母さん」になったのは叔母がまだ中学生になったばかり。
中学生に「おばさん」はかわいそうだと、私たち兄妹は叔母を「◯子ちゃん」と呼んでいました。
そしてそれはずっと…
叔母は母親(私の祖母)に似てふっくらした顔の美人。
明るくて勝気で、近所に住む母とは気が合っていたようです。
母は運転免許がないので、よく◯子ちゃんに運転してもらって
パーマ屋さんや買い物に2人で出かけていました。
色白で美人の妹は、母の自慢でした。
「色の白いは七難隠す」という諺を出すたびに、
◯子ちゃんの成人式の着物を選びに行った時の話を聞かされました。
「◯子ちゃんはね、どんな色の反物を合わせても、全部似合うの。
『あ、コレも良いですね。コッチも似合いますねー』
って、向こうの人が」
ところが、隣で着物を見繕っていた人は、なかなか似合う柄や色がなかったらしく、反物を選ぶのに苦労していたと。
「やっぱり、◯子ちゃんは色が白くて美人でしょう。
何着ても似合うんだよね〜」
と、嬉しそうに話していました。
母親から厳しく躾けられ、そのお産も手伝ったという歳の離れた妹に、深い愛情と反面、甘やかされる叔母に複雑な感情もあったようですが、
とても仲の良い姉妹だったと思います。
その母も数年前に先立ち、
「姉ちゃん(私の母)がいなくなって、ホントにつまらなくなった」
と言っていた◯子ちゃん。
私たち兄妹にとっては、叔母というより歳の離れたお姉さん、みたいな存在でした。
◯子ちゃんが亡くなる前の日に、病院へ会いに行った時に自宅へお土産に買った「旅がらす」↓
長くなったので分けますね。
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