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8年前に私の母が亡くなった時、私はA・SO・BO塾で

「わからなければモモエさんに聞け」

の稽古を始めたところでした。


それまで毎回、実家の母はA・SO・BO塾の公演を見に来てくれていました。

◯子ちゃんに、母の代わりに観に来てくれないかと声をかけたら、おじさんとご夫婦で遠い群馬から来てくれました。

私の母の形見分けで譲った上着を着て…


A・SO・BO塾の公演を観た◯子ちゃんは、

すごく面白かった!

と感激して、

次も観に行くから必ず呼んで!

と。

その言葉通り、次の公演もまた、2人で来てくれました。

それから毎年の年賀状には

「お芝居頑張ってますか?次の公演も楽しみにしています」

という一文が添えられるようになりました。


残念ながら新型コロナの流行でA・SO・BO塾の11期公演は延期の末に中止。

叔母に観てもらえたのは10期「銀杏の樹の下で」の公演が最後となりましたが、

慣れない都会にキョロキョロしながらも上京して、A・SO・BO塾の公演を楽しんでもらえて本当に良かったと思います。


叔母の告別式の時、従姉妹(叔母の娘)から

「ひろこちゃん、お芝居やってるんだって?お母さんがすごいって言ってたよ」

と声をかけてもらいました。

いや、すごいのはASOBO塾の演出家なんだけどね…ウインク


ほんの数ヶ月前に叔父が亡くなり葬儀に出たばかりで、また叔母の葬儀になるとは…

ただ、昨年母の七回忌に叔父、叔母の2人ともが入院中だったり、体調が悪かったりで出ていなかったこともあり、心配はしていました。


叔父の葬儀の時の叔母の様子がだいぶ弱って見えたので

「何かあったら…」連絡をして欲しいと、従兄弟と連絡先の交換をしていて(今となっては)良かった…


続きはまた、こちらで↓『叔母のこと④』『叔母のこと③』『叔母のこと②』『叔母のこと①』私の母親の妹、叔母について書こうと思います。叔母(◯子ちゃん)は2024年2月26日の朝、逝きました。私と叔母…リンクameblo.jp