一人の手 | フェイシャルサロン 月陽~Tukiakari〜 【広島☆坂町】

あの日の夜、

雨音がひどくなり、急に慌ただしくサイレンの音が鳴り響き始め、テレビも騒がしくなってきて、

何が起こっているのか分からない状況のなか、

「父さんの車が流されよるって!!」

突然の母からの電話。

つい1時間前の電話では、雨がひどいけん、気をつけんとねって話してたのに?

「どしたん!? どういうこと!?父さんはどうしよるん!?」

母の返事を理解できないくらい私はパニックになってしまった。

それから、自分がどう行動したか、あまり覚えていない。

実家と私の自宅は、徒歩で10分程度。

海側と山側の境目にJR呉線と国道31号線が走っていて、私は海側。

パニックのまま外に飛び出したけど、自宅周囲は、いつもと変わらずで、ますます訳が分からないまま、山側の実家に走って向かって、坂駅を超えた時、いつもの道が海!?

どういうこと!? なにこれ!?

側溝から溢れ出る濁流の中、実家にたどり着いて母の顔を見た時、

「何しよるん!! 早く逃げるよ!!」

大丈夫!?との声も掛けれず、急かしてしまうばかりの自分。その時は、それしか言えなかった。

実家は、周りの家より一段高い位置にあるため、

浸水はしていなかったけど、いつも登って来る階段の半分くらいのところまで水が来ていて、道路沿いの家は、その時既に1階部分は完全に浸水。大人の背丈以上の水位に。水面にいろんなものが流れているのを見て、言葉は出なかった。

母と避難する時、とにかく、この家を守って下さい!!と願い続けた。

避難所(坂駅に隣接する図書館)には、実家の近所の人達が、着の身着のままで身を寄せてた。

どこへ行っても、どこの光景を見ても、

なんでこの町がこんなことにと思うばかり。

何をしていいのかも考えられない。

駅の高架から国道を見ると、更に水嵩が増え、車が立ち往生。

海側の我が家にも水が迫っている

家に帰って、車を移動させ、テレビからの情報を待つが、新しい情報はなかなか入らない。

ただ、片隅に映るアメダスの雲の様子は、依然として雨雲が切れる様子がない。

雨音が酷くなるたび、外に出て水がどこまで来ているかを確認しに走る。31号線が浸水により通行止めになり、我が家のそばの道路の往来が増え、ますます、状況は悪化。

そんな中一晩を過ごし、やっと外が明るくなって来た頃、坂町の様子がヘリコプターからの映像で映し出された。

いったい、ここはどこなんだ!?

私が育った町の姿はそこにはなかった。


(中国新聞7/7記事より)


あれから2週間

今日が何日で何曜日なのか、それすら分からなくなるくらいの日々を過ごした。

実家周囲は、息子の友達の高校生たちや友人、急遽、県外から帰って来てくれた娘や親戚が、暑い中、土砂をかき出してくれたり、いろんなものを運んでくれたりしたお陰で片付きつつあり、残ったのは大量の土嚢袋を積み上げた風景。




でも、それはほんの一部。

町の中を歩きながら、至る所で

こんなことになってと、涙が出る。

でも、落ち込んでても、何も状況は変わらない。

ただひたすら、自分のできることをやる事しかない。

看護師である自分としても、何か出来るとこはあるはず、いや、何かしたい、何かしないと!!


でも、自分の無力さに気付かされ、立ち止まってしまう。何をしても中途半端、達成感のなさ

自分を責めてしまう。


災害から数日後

実家の近所の一人暮らしのおじいちゃん

山からの土砂と側溝から溢れた水が家の中に入り込み、思い出のものも流され、

呆然とその現場にたたずんでいた。

私が声をかけると


助けてくださいやぁ


かぼそい声でそう言われた。

その声がずっと頭に残っていた。


息子に伝えたら、友達を呼び、友達が友達を呼び、近所の人や親戚も手伝いにきてくれて、

1m以上ある高さの側溝を掘り起こして、

大きな岩も取り除き、溢れていた側溝を元の水流に戻すことが出来ました。

その光景を見ながらおじいちゃんは、


ありがとうありがとうありがとう


ずっと言い続けていました。




こんな風に、

1人では何もできないけど、

誰かの力を借りて少しでも何かができるんじゃないかな?


そんな時に、すどうゆうこさんと三宅マキコさんから、ボランティアに行くよー!と連絡があり、坂町の現状を説明しながら、小屋浦の息子の同級生のところへ。

孤立した中での小屋浦は、まだまだ、手付かずのところばかり。現状を見れば見るほど、ここもこれからどうすればって考えながら作業する私とは違い、お2人は、冷静に現状を見ながら、今何が必要かを聞き出したり、持って来ているものの中でもどれが用途に合うかを、実際に使いながら見極めている。そんな姿を見て、ハッとした私。


立ち止まって悲しむことが、

今私のやるべき事ではないじゃん!!


高齢者の多い坂町にとって、

マンパワーは必要不可欠。

現状を少しでも多くの方に知ってもらい、

1人でも多くの方に、力を貸してもらえるように伝えること


まずはそこから。


ありがたい事に、すどうゆうこさんの呼び掛けに、全国から沢山の物資を送って頂いたり、坂町災害支援金にご協力頂いております。


今日は、その物資を公文ユカさんが我が家まで届けてくれました。



たくさんの物資を送ってくださった方々

坂町災害支援金にご協力くださった方々


本当にありがとうございます。



そして、公文さんと看護学校時代の同級生の実家に行き、短い時間でしたが、土砂撤去作業を手伝わせて頂きました。同級生は、地域の保険健康課に携わっているので、看護師として出来ることがどんな事が、今、何が必要とされている事かなど話しながら、情報交換しながら今後協力させてもらいたいなど話をしました。


手を差し伸べて待っている方はたくさんいる。

それに私がひとりひとりにはこたえられないけど、

なにかの形で協力してもらえるように、

声をかけたり、伝えたり、行動することは出来る!!


頭の使えない私は、

唯一自慢の身体を使って色んな形で動けるじゃないか!!


私を育ててくれた町

つい2週間前まで、自然に囲まれた環境の中で幸せに生活出来ていたあの頃に、少しでも早くもどれるように、

なにかの形で復興に協力していきたい

それが私の今の思い。



🎶 一人の手 🎶

一人の小さな手 何もできないけど

それでも みんなの手と手をあわせれば

何かできる 何かできる


一人の小さな目 何も見えないけど

それでも みんなの瞳でみつめれば

何か見える 何か見える


一人の小さな声 何も言えないけど

それでも みんなの声が集まれば

何か言える 何か言える


一人で歩く道 遠くてつらいけど

それでも みんなのあしぶみ響かせば

楽しくなる 長い道も


一人の人間は とても弱いけれど

それでも みんながみんなが集まれば

強くなれる 強くなれる


それでも みんながみんなが集まれば

強くなれる 強くなれる



この歌を坂町の皆さんに届けたい。


今後も坂町の復興に

ご支援ご協力をよろしくお願いします。