いつも読んで頂いて有難うございます。
久しぶりの山歩きです。
祈祷もしてきました。
病は氣から
神経痛が癒えます。
行場が癒されるというのもおかしな感じですが、元氣になれた最高の定休日でした。
私には、やっぱり行場が一番心地良い。
この滝は滝壺まで三十メートルくらいあるので、近くにいるだけでも、立つ風と飛沫で心身を清められます。
また、身体中の細胞が活性化するような湧き上がるエネルギーを自分の身体から感じることが出来る。
流れる氣...
流れる時間
流れ
流れ
流れて...
人体はひとつの小宇宙です。
自分の魂が宿る身体の流れは、自分が創るものでもあります。
自分だけのバランス
自分のペース
自分の意識
自分にとってより良い状態は見つけられるものです。
貰い泣きをすることも多かった。
お客様にも大きな治療を前にしてみえる方も多くいらっしゃいます。
皆が良き方向へ進めることを心から願いたい。
手術により、身体から無くなるものもあるのかもしれません。
手放すものもあるのかもしれません。
ですが、全部があることを全体観とする考えに拘りすぎてしまうことは、喪失感を生み出し、治療に前向きになれなくなることもあります。
全体観は、自分にとっての全体的なバランスであり、自分だけのものです。
自分の中の自然は、
欠けても、無くなった何かを補う為に...
生きる為に...
一生懸命働き、身体を保とうとします。
その自然の力に、恐怖や不安で抗わないで...
自分を信じること
祈祷師は身体の何かが欠けている人が多かった。
私が出会った優秀な医師や氣功師、ヒーラーは大病を克服している方が多いです。
最大の行だと... 当時思った。
家の講社は、結核を治していたこともあり、祈祷師の多くは片肺の人もいました。
自身が治しているからこそ、伝えられることも、治し方もよく分かっていたのかもしれない。
祖父もそうでした。
では、肺が片方不自由だと生きられないかというとそうではない。
障害があるかというとそうではない。
皆長生きだったし、祖父は風邪ひとつひかないくらい健康だった。
でも、当初からそうだったかというとそうではなかった。
逆に肺病をするまでは、不健康だったと聞いた。
祖母も同じである。
もちろん、肺病を克服し、新たな自分の全体観になるまでには、相当な行をしたのだと思う。
昔、私に祈祷を仕込んでくれた祈祷師の先生は、山から転落して半身不随になったことがあった。
神経障害があり、ほとんど寝たきりだったのですが、奇跡的に動けるようになり、祈祷の道に入ってから新たな全体観を得て、神経障害を克服している。
欠けることは、負ではない。
欠けは自分の中の小宇宙です。
欠けの部分に神氣を貰うとも言う。
家の氣功は、呼吸法を重視しており、息吹法など、神氣呼吸というものがありますが、それはきっと片肺を補う為に編み出されたものなのだろう。
祈祷や氣功、ヨガをする時に、私はその呼吸法を使う。
私の場合は、子宮の欠けに合った氣流を自身で編み出したいと思えた。
それは、女性としての発信でもあります。
また、それに向き合うのが今後の生きる意味でもあり、楽しみです。
生きていれば...
悩み、向き合い
それでも、克服できる可能性がある。
山を歩くと、いつも自然は大切なことを教えてくれます。
全体観とは、何かが欠けたから崩れてしまうようなものではなく、欠けたらその新しい形が全体なのです。
新しい流れを生み出すこと
人はそういう未知の力を...
皆が 持っているはずです。
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(岐阜 占いヒーリングサロン フェリーチェ)