ブログのタイトルを変えて、今までの記事を全部消してみました。
深夜テンションに任せての行為ではござーません。

お陰様で犬と串15回目の本公演「バカから醒めたバカ」も無事に終演しまして、公演直前に迎えた30歳という自分の年齢についてようやく、改めて考える余裕が出来てきまして。
色々、自分の思考回路を変えていこうという模索の中のひとつとして、こういう形をとりました。

まず前提として声高に言いたいのは、僕は今、人生のケモノ道にいるぞ、ちゅうことです。
つまり、舗装されていない、混沌とした道を歩いている、ということですね。

これは、自分の立場とか人間関係とか、そういうことじゃなくて、なんだろ、もうちょっと内面的な意味のお話です。

例えば、「あなたにとって表現とは何か」と聞かれてパッと答えられなかったりとか、「こういうビジョンの元にこういう行動をとっている」みたいなものが明確でなかったりとか。
言ったらまあ、内面が今、ブレブレなわけです。

ん?誰だってそう?

そうかも知れませんね。
自分が特別だとか、そういうことは思っていません。
そうじゃなくって、ただ、その前提をまず受け入れないことには、先に進めない、ということなのです。


僕には、「パッケージング癖」があります。
一言では言えない複雑なものを、「つまりは○○です!」みたいな感じで、何かしら分かりやすい何かに纏めちゃう、みたいな。

思うにこれは、高校時代の経験が大きく影響しています。
弱小の演劇部に所属していて、大きい会場で公演を行っても客席はスカスカ、みたいな感じだったあの頃。
そのトラウマがあるから、大学で劇団を作ってからは、「注目されること」「多くの人に観てもらうこと」を何より優先して考えてきました。

で、その思考回路は年々強まっていって。

別にその考えが、間違っているとは思っていません。
作品を作るうえで、パッケージング、大事です。

なんだけど、このまま、その思考回路ばかりが強まっていくと、自分が何なのか分かんなくなっていくんじゃねーのって言うか。
そもそも自分が何をやりたいのかが分かんなくなってくんじゃねーのって言うか。

自分の中の表現欲求を形にする時にパッケージングすることは大事だけど、自分の表現欲求そのものを、無意識にパッケージングしちゃうんじゃないかって不安があるわけです。
「こういう作品を今自分は作りたいはずだ」って思い込み、みたいな。

心はもっと、混沌としていていいんじゃないかなと思うわけです。
で、ブログってのは、商品じゃないし、その混沌が反映されててもいいんじゃないかなと思うわけです。

もう消しちゃったけど、今まで書いた記事を見返すとね、かなーりね、その頃作ってる作品のテーマとかタイプとかにね、自分の思考回路を寄せてるんですよ。

「今僕は、こういう作品を作ってる→だから今の僕はこういう人生観なはずだ→こういう記事を書こう」みたいなね。

そーいうの、もういいかなって。
その時書きたいこと、そのまま書けばいいじゃんって。
エッジの効いたことを書きたい時はエッジの効いたことを書くし、親に感謝のラップを贈りたい時は親に感謝のラップを贈る。

自分が今後、どういう作品を作っていくかとこのブログは無関係です。
いや、結果として関係性が生まれるのかもしれないけど、先に紐づけることはしない。
そんな気持ちでやってこうと思ってます。


つーか、ああ。
もう、ここまでのこの文章自体が論理的だ(笑)
「パッケージングしない宣言」そのものをパッケージングしとるわ。
畜生、無間地獄だ。

慣れかね、頑張ろう。


ちゅーことで、ここまでが前置きで、初回の今回は、「幸せ」みたいなことについて書こうかな。

上記の反省を踏まえていきなり飛ばしていきますが、僕にはね、多分根本的に、「自分は周りの人を不幸にするんじゃないか」みたいな感覚があるんだと思います。

不幸は言い過ぎかもしれないけど、幸せに出来ない、くらいはまあ、確実に思ってます。

でね、その感覚にどう立ち向かうかって言うと、「幸せに出来る努力をする」って健康的なパタンもあると思うんですけど、僕の場合、ちょっと違うくてですね。

「(申し訳ないから)自分はもっと不幸でなければならない」という風に考えちゃうのですよ。
僕だけかな。

これがねー、非生産的なのよねー。

意味なんて全くないけど、そういうバランスとっちゃうの。
だから、結構僕、あえて不幸の坂を転がっちゃうみたいな時があるんですけど、それは別に破滅願望じゃなくって、それが自分の中での決着の着けかたなんです。


この癖をまず直さないとな、と思っています。

幸せになりたい。
当たり前です。
その当たり前の気持ちにもっと忠実になって、その上で、周りの人を幸せにすることを考えたいですね。



ちゅーことで、ここから始まるモラルの「バカのケモノ道」、その道中にお付き合い頂ければ幸いです。

で、このケモノ道を歩いて歩いて、いつか形だけじゃなくって、本当に舗装された道に出ることが出来たら、おめでとうと言ってくれたら嬉しいです。