本当に、信じられないくらい暑い毎日が続いている。

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか?

どうか、水分をこまめにとったりして、熱中症には気をつけましょうね。

 

・・・なんて言いつつ、実は僕は先日の昼間、この灼熱の中散歩に行くという暴挙に出てしまった。

決して褒められた行動ではないし、間違っても人に「君も真似してみなよ」とは言えない。

が、「この暑さとコミットしなければならない」という謎の使命感が、僕の中に突如、生まれてしまったのだ。

 

モノカキという職業柄、僕は基本的に自宅で仕事を行う。

そこに、コロナウイルスの影響による外出控えと、おまけにこの暑さが重なって、最近は必要最低限の買い物など以外は、ほとんど家にこもりっきりの毎日だ。

 

ここ数日はエアコンも一日中つけっぱなしで、部屋の中は常に、いい感じの室温が保たれている。

そういう意味では、とても仕事に集中しやすい環境である。

が、しかし。

集中しやすい環境にいればいいアイデアが浮かぶかと言われれば、そうとも言いきれないのがモノカキの難しいところだったりもして。

 

やっぱり、フィクションを生む、ということは、現実と地続きだから、あまりにその現実と乖離した環境で仕事を進めていると、自分が今何をしているのか、分からなくなってくるのである。

例えば、「夏はやっぱりアイスだよなあ!」というセリフを書くにしても、ホントにその感覚が自分の中にあるのか甚だ懐疑的というか、色んなことが記号的になっていってしまうのだ。

だから、「夏はやっぱりアイスだよなあ!」と本心から言うべく、僕はいそいそと準備をして、家を飛び出していった。

 

もう、本当に辛かった。

何回、マスクを外したいという誘惑に駆られたか分からない。

繰り返しになるが、本当に皆さん、どうかこんなアホなことの真似はしないでいただきたい。

 

けど、やっぱり、この信じられないくらい暑い外界も含めて、僕達の住んでいる世界なんだよなあ、としみじみ感じた。

 

今、世界は疲れていて、救いを必要としていると僕は思う。

だけど、僕達は本当に、優しく癒してくれるものだけに救われてきたのだろうか?

ギョッとするようなものだったり、うっとおしいものだったり、そんなものにも等しく、救われてきたのではないだろうか?

 

癒しはとても大事だけど、それと相反するものを、過剰に排することで生まれる疲れもあるんじゃないかな、なんてことを思ったりする。

この、明日も分からない世の中で、「ああ、高級外車を乗り回してえなあ~」なんて、ピントのズレた欲望を抱いたっていいじゃないか。

 

 

散歩の帰り道、水鉄砲を買った。

もう三十代も半ばに差し掛かっている僕だけど、これでキャッキャと遊びたいなあ、なんてことを考えている。