大阪万博が大ピンチなのは、主に軟弱地盤の影響で。
それがある限り、ゼネコンが頑張ろうが、日本の建設業者が優秀であろうが、

一向に解決に向かない。
ならば、場所を変えようぜ。
最適な候補地は「みさき公園」だ、の続きです。

そもそも「みさき公園」って?どこ?っていう方が、ほとんどだと思います。
大阪の南のさきちょにあります。


開業が1957年(昭和32年)です。
南海鉄道の創立70周年記念事業として設立されたものです。
水族館と動物園に遊園地が合体した、もう子供たちにとっては憧れの場所。
メニューでいえばカレーとラーメンとハンバーグみたいな公園です。

高度成長期が始まる以前に、このような施設を建設していたのは画期的です。
惜しくも2020年に閉園されていますが、開園当時からあるジェットコースターは西日本最古のもので、浅草のはなやしきに継いで日本で2番めの歴史的遺構ともいうべきものでした。


 

そもそもは、大阪ゴルフクラブの緑地帯として位置づけられたものです。
もともとはゴルフ場の敷地だったものが、戦時中に陸軍に接収され戦後に大阪府へ渡された後に、農地解放の一貫として耕作地として開放されていたものを、大阪ゴルフクラブが買い戻してゴルフクラブを開業しようとしましたが、農地法への抵触を指摘された折に、広く大阪府民のレクリエーション施設として土地計画公園の認可を受けたものです。
つまり、始めから府民のためという、公的な役割をもってつくられた公園です。

開業当時のゴルフ場


なので、大阪の人は、みんな「みさき公園」知ってました。
子供の頃に家族で行ったことがある思い出の場所だそうです。

 

この映像を見ていただけたら、なるほど!ってわかると思います。
 


しかしながら、2020年、年々減り続けていた利用者状況に加え。コロナ禍も引鉄となって閉園され、南海鉄道から岬町に譲渡されました。
 

 

この、大阪府民の心のふるさと、みさき公園をいったん万博に活用し、「万博記念みさき公園」として再生してみてはどうでしょうね。

つづきです。

では、みさき公園の地盤が良いのはわかったと、でも広さはどうなの?広さは。
夢洲は地平線まで広がってるよ、と夢洲派の人はいうでしょう。


これもですね、みさき公園の勝ちですね。



同じくらい広い。
そして!会場の周りには町があります。
町の人口1万6000人



夢洲の人口 ゼロ人。
なんの社会インフラもない、そこで工事しようとするから大変に無理がある。

そして、駅。
「みさき公園駅」




ヨットの帆をイメージした建築なんですね!
地元の建築事務所のデザインですが、シンプルかつシンボリックで見事です。

設計時の手書きパースどおりに出来ています。



設計は田淵建築設計事務所
https://www.tabuchi-archi.jp/galleries/facility/works05/853


建築家の田淵誠也さんが設立した和歌県でもっとも古い建築設計事務所です。

 

 

一方、夢洲駅。テントです。

設計は大阪の組織設計ファーム(株)安井設計事務所

設計時の夢洲タワーのパースがいつのまにか、こんなに小さくなっています。
また、タワーは誰が設計したのかすらわかりません。
 

 

これは、もう圧倒的にみさき公園駅の勝ちですね。
 

では交通の便はどうなんでしょうね。

 

みさき公園駅までは、南海電車の特急で、なんばから46分です。
関西空港からですと、20数分でしょう。

 

 

夢洲は地下鉄ですので、大型ターミナルから直行便はなくて、
たとえば、なんばからですと、地下鉄四つ橋線から本町乗り換えとなります。
関空からはやはり乗り換えで、1時間ちょっとというところでしょう。
 



道路事情はどうでしょうか

みさき公園については、
阪和自動車道が途中の関空から先に一直線に伸びていますね。
大阪中心部から関空までプラス20分というところでしょう。

 

夢洲は大阪中心部から近いっちゃ近いんですが、
大阪の臨海部に行ったことある人ならわかりますけれど、
中心部を経由すると渋滞が激しすぎて時間が読めなくなります。

この渋滞というのは大阪は苦い経験がありまして、
かつて、大阪オリンピック誘致というのがあったんです。
2001年頃から始まりましたかねえ。

このときの会場もなぜか、夢洲だったんですよ。
メインは舞洲でしたが、



で、そのときに問題になったのが、会場までの交通渋滞だったのです。
国際オリンピック委員会IOCによる現地視察が何度も渋滞に巻き込まれ、予定時間内に会場に行けないとか、のハプニングが続き、結局「現地視察において」これらの問題点が噴出したことから、「大阪での五輪開催は困難ではないか」と、オリンピック開催候補地から外れてしまいました。

このときも、大阪がダメなんじゃなくて、大阪の夢洲、舞洲がダメ」だったんんです。で、あるなら、なんで同じ轍を踏むのかねえ、国際イベントと開くために、どうするべきか、反省とか検証とか分析とか、対策を考えるとか、なかったのか?ということです。

 

つづく