「イライラしてやった」

とか、

「さみしくてやってしまった」

とか、

マジでやめろよ。

 

自分の中だけで始末しなさいよ。

 

 

 

 

 

「イライラして」とか「さみしくて」という言い回しが氾濫しているせいで、言う時の抵抗感が相当薄れているに違いない。

 

どうやらみんなもイライラしているしさみしいらしい→僕もなんですぅ

という論法が成立してしまう。

 

自分のイライラやさみしさに他人を巻き込むなんて、本当は顔から火が出て焼け死ぬぐらい恥ずかしいことのはずだ。

 

 

 

 

 

動機を説明する義務はあるから、それが実際「イライラして」とか「さみしくて」なら、その通り言うしかないだろう。

けれど、それが「ごくふつうのこと」だと思ったら大間違いだ。

 

あんたは、おかしい。

「能力」が「足りていない」。

 

イライラしようがさみしかろうが一人で頑張っている人は犯罪者の何千倍もいる。

 

 

 

 

 

マスコミは、「イライラして」とか「さみしくて」を、「毎度おなじみ」みたいな扱いにしないでほしい。

 

あと、コメンテーターは「世の中にも問題がある」という方向に話を広げないでほしい。

まったくの無関係ではないだろうけれど、たぶん、わざわざ言及してあげるほどの関連性はない。