川合大祐さんが『リバー・ワールド』は、巨大な一句なんだ、という話をしていてとても印象的だったが、そのことばからエヴァンゲリオン的な世界観をふっと思い出したりもした。

エヴァが人類補完計画というみんなが一つの魂(巨大な一句)になればハッピーだよね、というひとたちと、いやみんな別々に生きたら孤独だけれどでもそのさびしさから逃げずにひとりひとりの生を他者と手をつなぎながら生きてゆくべき、というひとたちの戦いであるとしたら、川合さんが巨大な一句にしたいけれどでもその一句を未完にしたいという気持ちがある、と話していたのは、この対の構図をたまたま写したような発言だと思った。

巨大な一句にはしたい。でもその一句を未完にさせ、なにかを喪失したままにさせておきたい。

おおきな魂のことを考えたときにふっともつ違和。ちいさな魂たちのことをわすれたくはない。大きな魂を欲望して碇ゲンドウのようになにかを忘れることは避けたい。

この対の構図はもしかしたらサブカルで繰り返されてきたもの、例えばガンダムのシャアがやったこと、一回アクシズ落としてみんなで一つの魂になろう(シャア)、いやそれはおまえのエゴでひとはひとりひとりさびしくても生きていくべき(アムロ)、など、ひとつの大きな魂 対 ひとりひとりの小さな生、という構図の系譜として繰り返し繰り返しあったものなのかもしれない。

わすれられないもの。