「横綱を言葉で言うと桜桃忌/川合大祐」。川合さんの川柳は認識論が大事なテーマにもなるが、折口信夫の類化性能という概念に現代川柳は似ている。つながらないはずのものにつながりを見いだす力。つなげてはいけないものをつなげてしまう法にふれる力。すこしそれはかみさまにもふれる。 

この短詩の認識論的なテーマは、俳誌『オルガン』のひとたちのテーマにもなっていると思うし(婚姻や幾度も白い鮫とおる/田島健一)、小津夜景さんの俳句につながるところもある(ここはまだすこしすずしい指がとぶ/小津夜景)。言葉で見えてしまうもの。川柳とか俳句じゃなく、認識詩というジャンル。

イベントで川合さんが川柳やってると時々やばくなっちゃいそうなときがあると話していたのはある意味詩の秘密を話していたというかつなげてはならないものをつなげてしまう詩とくゆうの類化性能の話をしていたのではないかと思う。古代人や子どもはそういう詩に長けている。あの雲、くじらだね、とか。