「かおの上半分が見るポピーの野/鴇田智也」。NHK俳句で鴇田さんが、見るときって顔半分しか使ってないよね、と顔と見ることの不思議について話していた。顔、という記号で乱暴に顔をまとめ上げるのはやめましょう、という認知の再帰性。何度も何度も認知を折り返すリフレクシヴィティが俳句にある

川合大祐さんの川柳が、書くことことばの方から認知を崩していくのに対して、鴇田智哉さんの俳句は、見ることとからだの方から認知を崩していく。短詩のひとつのあり方として、短いので、そのつどそのつど人の認知を刺したり捏ねたりすることが出来る、という長所があるようにおもう。