「よそ者として一心に踊りたる/松本てふこ」。とてもすきな句。わたしよそ者だけれど、よそ者にはよそ者なりの本気があるんだよ、という熱量。てふこさんはアウトローな視線を保っているが、だからといってどうせ私はアウトローなんですという腐っているところがない。アウトローとしての熱量をてふこさんはたちあげる。「バナナシェークづづづ桜が咲いてゐる」。この「づづづ」って熱量だとおもう。わたしがいまどこにいようがどんな境遇だろうかわたしはおとをたててそれをすする。おとがわたしをたちあげる。桜が咲いている。