三谷幸喜劇のにんげんたちはみんなすなおなところがいい。『鎌倉殿の13人』もどこかバタ臭いのはにんげんたちが、奥ゆかしくなく、みんなすなおだからだとおもう。すなおだからトラブルが起きて、みんながそれに対処しようとする。それがドラマになる。かんがえてみれば、『古畑任三郎』も、ひとがさいしゅうてきにすなおになる物語だったのではないか。三谷幸喜はすなおとはいったいなんだろうということをおしえてくれる。いきることのふしぎとしてとつぜんわたしにあらわれる、すなお。